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watchdog

 暮れから正月にかけて、毎度お馴染の、「国民から思考を奪う」番組の目白押しである。
 当然……そんなコトは承知した上で、一時馬鹿になって頭を休めるのも一つの選択かも知れない。

 しかし、国内は言うに及ばず、世界の動きには暮れも正月も存在しないはず。

 この時期、……笑いとも言いかねる低能番組より、必死になってニュース番組にかじり付く人達も少なくはないと思う。

 そうは言っても……日本に於て、「報道」は本当に成されているのだろうか?

 RSF(国境なき記者団)の発表によると、我が国の報道の自由度は……なんと、世界で70位だという。我々は目隠しされているのだ! 呆れる他ないだろう……

 思えば、「watchdog」という言葉がある。文字通りには「番犬」であるが……要は、権力の監視役といった意味もある。
 そう。メディアのことだ。

 しかし、日本のメディアは本当に「番犬」足り得るのだろうか?
 単なる愛玩用の「犬」ではないのか?

 たぶん、「不偏不党」とかいうきれい事の「首輪」と「リード」で身動きが出来ないというのが本音ではないのか?

 「The Elements of Journalism」の著者Bill Kovachはかく喝破する。

「Being impartial or neutral is not a core principle of journalism. Because the journalist must make decisions, he or she is not and cannot be objective. But journalistic methods are objective.」
「不偏不党や中立性は、ジャーナリズムの中核を成す原則ではない……云々」……と。

 当然のことだろう。権力から独立しているべきなのがメディアなのだから、「不偏不党」などという曖昧なバランス感覚など、かえって「報道」を歪めてしまうはずである。

 ただし情けないことに、日本のメディアは……やはり「番犬」ではなく「ペット」なのかも知れない。

 例えば、報道機関のトップと、国家のトップとの会食が慣例としてまかり通っているなど、日本だけだろう。外国なら、一緒にコーヒーを飲んだだけで、たぶん問題視されるはずだ。
 「ペット」ならではの役回りだろう。

 放送法なんかも……これは「中立」とかいう首輪を確認し、リードの長さを制限する仕組みに過ぎない。

 テレビや新聞の報道が……多くのスポンサーである企業に囲い込まれ、教え込まれた「芸」しか演じていないのは紛れもない事実なのだから……これまた「番犬」ではなく「ペット」に他ならない。

 まあ、いっそ開き直って、笑えない「お笑い番組」を……謎解きのミステリーとして、アニメの「鴨乃橋ロン」みたいに推理を巡らすのも、面白いかも知れない。

 そう。国民をこぞって、思考停止の「でくの坊」に仕立てあげようとする真犯人は誰なのか……と。

 

 

 

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銀騎士カート
貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。