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今再び、「大滝詠一」
僕はほとんどテレビの画面を見ることはない。その音声だけを、漫然と流しているというわけである。
当然、テレビに放映されているのは、シツコク繰り返されるCMである。単純なメロディの繰返しで、強引に社名や商品等を記憶に叩き込もうとする悪意には時に苛立ってスイッチを切ってしまうことも多いのだが、……唯一耳に心地よい例外がある。
そう。すでにナツロメと言っていいはずの「大滝詠一」の曲が……かなり以前から、なんのCMなのかは判然としないが流れてくる時がある。たぶん一社ではないだろう。
その時ばかりは、なぜかホッとするのだ。
CMに使う曲など、誰がどんな形で選択しているのは知らないが……やはりどこかで耳に残っていたのだろうか……
ただし、以前ちょっと触れた「Spitz」などとは違って……当然、それよりも以前のアーティストではあるが……「普遍性」といったものを感じるわけではない。
やはり、「懐メロ」ではあるだろう。僕にして時に弾き語る「幸せの結末」などは、やはり当時の時代の雰囲気との兼ね合いという部分が強い。
実は、僕は以前からの「大滝詠一」のファンだったわけではない。僕の大嫌いな「演歌」の要素をたぶん毛嫌いしていたのだろう。
小林旭の「熱き心に」や、薬師丸ひろ子の「探偵物語」などは……やはり「演歌」のニオイがして好きにはなれなかったのだが……後年、大滝詠一本人の唄っているバージョンを聞いて、ハッと息を飲んだ覚えがある。
確かに、「演歌」的に要素を含みながらも……完全な「ポップス」として消化され、充分に聞かせてくれるのだ。
僕は、大滝詠一がどんな人生を歩んできたかなどは興味もなく、その音楽だけで判断するだけなのだが……一言で言うならば、その懐の深さだけは称賛に値する。
偏見だらけの僕などとは大違いなのだ。
そう、彼の世代から推測するに……たぶんThe Beatles以前のアメリカのポップスあたりが原点だったのかも知れない。Paul AnkaやNeil Sedakaあたりだろうか……
当然、The Beatlesの洗礼も受けたはずである。
多くのミュージシャンが、ここで二手に分かれる。バンド構成はロックを装った「演歌」……あと商業的にはマイナーな「ブルース」へと……
まあ、大滝詠一にブルースの要素こそ希薄ながら……あくまでも「ポップス」という路線のもと、すべての音楽ジャンルを偏見なく取り入れている姿勢が窺える。
そう。面白ければ、楽しければ……演歌だろうと古い流行歌だろうと、はたまた民謡だろうと……全てを血肉にしていたようである。
時に彼の音楽を「パクり」が多いとも言われる。確かに、原曲そのままとも思える場合もあるが……彼はそれを別に隠しているわけではなく、メロディ以外は全て自己流の世界に取り込んで……「完成」に導いているのだと思う。
実際、こっそりと「パクり」をしているアーティストなど、数え上げたらキリがない。
結論として……大滝詠一の曲、特に本人の歌唱は、「普遍性」とか「懐メロ」とかいうジャンルさえゴチャマゼにした……シチューのような音楽なのかも知れない。
あらゆる音楽の要素が、微妙な調味料になって……僕達の奥底に沈んでいた、知らず人生を彩っていた、言うならば、子供時代の子守歌、唱歌、お祭りのお囃子……流行歌、ロック……すべてが彼の歌唱の「魔法」によって呼び起こされ、聞くものの心に……音楽の楽しみを改めて信じさせてくれるのだろう……
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