味噌汁は遠きにありて思ふもの
味噌汁は遠きにありて思ふもの そしてほのぼの味はふもの
ここ一年ほど、全く「味噌汁」を飲んでいない。あきれたものである。
まあ、一人暮らしとあれば、なかなか一人前を作るのが面倒で(それなりの方法もあるらしいが)……かってはインスタントで誤魔化していたが、親戚から大量にもらった、とんでもなく不味い奴を飲み続けているうちに、すっかりと味噌汁嫌いになってしまったのだ。
近頃では、オカズが塩鮭で……なんと、味噌汁代わりは「ポタージュ」なんぞという、とんでもない組み合わせも、もはや僕にあっては定番なのだ。
もとより、元来「味噌汁」が嫌いだったはずもない。ガキの頃は、祖母やお袋の作った味噌汁を朝夕、必ず飲んでいたものである。特に祖母は、かつお節を出来合いではなく、木製の、カンナみたいのが付いている削り節器で、削っていたはず。
カンカン……という、ほのぼのとした響きは、今でもどこか懐かしい朝のプレリュードとして思いだす。
味噌汁の具はといえば、定番の豆腐や油揚げの他、ナス、玉ねぎ、ジャガイモ……時にはキューリなんて時もあった。ちょっと酸っぱくて、あまり美味しくはなかったが……
お袋、祖母、叔父二人……そして僕の、変則家族ではあったけれど、まさに古き良き日本の団欒のぬくもりは紛れも無く、その名わき役こそ、たぶん「味噌汁」だったのかも知れない。
そんな僕が、いつとはなしに「味噌汁」から遠ざかってしまったのだ?
そう。言わずもがな……平和な「団欒」なんぞというものは、そう長く続くものでもなく……時の流れは冷酷無常にして、小児の王国から追放された身には、祖母の死、叔父の死……そして母の死……という黒雲が靉靆(あいたい)として通り過ぎ……気付けば、天涯孤独の境遇という、「味噌汁」の似合わないわび住まいに落ち着いた。
元来、すべてのシガラミを厭う身としあれば、十九で天に召された、初恋の少女の面影だけをヨスガに生きるを我が余生と思い定めた二十歳を境に……僕にとって「味噌汁」は遠い、模糊とした存在になってしまったのだろう。
そんな折り……僕は朝……かつお節を削るカンカンという音を耳に目が覚めたのだ。
いや……僕は、その時夢の中にあって……目覚めた僕の視界に開けていたのは、紛れも無い「団欒」のけしきであった。
味噌汁を運ぶ祖母、食器を並べるお袋……テレビのニュースを見る叔父1、新聞に目を通している叔父2……そして、香の物で唯一好きな「奈良漬け」を樸のために用意している、エプロン姿の少女!……、そこで、僕は二度目の目を覚ます。
幻から覚めた僕の頭にはしばし、夢で見た「団欒」のけしきが揺れ動いていた。
僕は、改めて毛布を被り……その世界を反芻し、再現を試みる……
しかし、その幻の中に……僕は断じて存在していなかったのだ。生あるものの、掟であるかのように……
なんだか……ポタージュの代わりに「味噌汁」が飲みたくなったきた!
改めて、冒頭の犀星の詩歌のモジリを、「奈良漬け」の代わりとして……
味噌汁は遠きにありて思ふもの そしてほのぼの味はふもの……
※ 画像はAIとアナログの合作です(^o^)