(再掲)デタラメよう……
学生時代……テナーサックスを以てモダンジャズに狂っていた当時、後輩から「アドリブのやり方を教えて下さい」と問われたことがあった。
コードだスケールだと、大まじめに語るのもウザッタく……つい答えたことに、
「頭に浮かぶデタラメを、そのまま演奏すればいいのさ……」
元来、人間としても「デタラメ」ではあったが……とんだ先輩であった。
とはいえ、僕は「デタラメ」という概念が大好きなのだ!
紆余曲折の後、文章を綴る身になってからは特に「デタラメ」を大切にしたいと心がけてはいるのだが……実は、この「デタラメ」……マジに「デタラメよう」としても、なかなか「デタラメられない」のだ。
なぜか? そう。どう足掻いても、「作為」という奴が邪魔をして、あれこれ筋立てや因果関係やらを持ち出してくるのである。
加えて、「常識」という創作には天敵ともいえる、くそ真面目な連中も背後に大勢いて、小声ながらもイチャモンをつけてくる。
かと言って酒でも飲もうものなら……右脳がお釈迦になり、理屈っぽい左脳がでしゃばってくる。大宰みたいな天才以外、アルコールを友としての創作は斥けた方がよさそうである。
取りあえず僕が「デタラメ」の傑作として手本にしたいのが、ズバリ「不思議の国のアリス」である。
この物語に対し、あーだこーだ……と、へ理屈を以て解釈したがる向きもあるが、悉く見当外れだろう。誰だったか……アリスを「男根」の象徴だと喝破した女性精神科医の分析には笑えたが……
何の事は無い。「不思議の国のアリス」というお話は、生真面目な数学者であるドジソン(ルイス・キャロルの本名)先生が、一目ぼれした幼女アリス・リデルの気をひきたいがために捏造した「デタラメ」なのだ。
アリスちゃん本人は、ルイス・キャロルなど「♬変なオジサン……」と思っていたフシもあるが、面白いお話を聞かせてくれるので、コスプレにも応じたのだろう。
我が心の師、安部公房も生前、「不思議の国のアリス」を愛し、ついては渾身のデタラメを書きたいと漏らしていたはずである。
そう。「デタラメ」こそが創作のミューズなのだろう。
もしかしたら……誰の目も、誰の耳も、糞を食らえと無視しながら、独りよがりの、独断と偏見を以て、唯我独尊この上ないアドリブを繰り広げていた愛器セルマーのテナーにこそ、ミューズは舞い降りていたのかも知れないのだ。
つい、当時の自分に問うてみたい。
「ぜひ、小説の書き方を教えて下さい」
くわえ煙草でカッコつけた、当時の僕は、きっとかく答えることだろう。
「頭に浮かぶデタラメを、そのまま文章に乗せればいいのさ」