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冬の星座
「冬の星座」という唱歌がある。原曲はアメリカのポピュラーソングだが、堀内敬三の作詞で昭和22年、国定教科書に掲載されたという。
木枯らしとだえて さゆる空より
地上に振りしく くすき光よ
……
たぶん、昭和22年頃には仮に東京であっても、星空が拝めたのだろう。
とはいえ、昨今では夜空を仰いだとて、「地上に降りしく」光など認めることは出来そうにない。いっそ目を閉じるところ、憐れむべし、子供時代に見たプラネタリウムの残像が蘇るばかりである。
星空が消えたのは、もちろん大気汚染が主たる原因だろうが、人類が「夜」を疎んじ、遍く人工の光を以て「闇」を追放したせいとも言えるはずだ。
「不夜城」という伝説が、「歓楽街」を差すようになったのもそれ以降に違いない。
寝る間も惜しんで享楽にうつつを抜かすことを、もし「文明」と呼んでいるとすれば、情けない話である。
星の瞬かない夜空を見上げていると、ふと夢の世界の荒廃を連想してしまうのだ。
古代、夜空には無数の星達が、いっそ無秩序に、言い換えれば野放図なほどの自由をもって散らばり、犇めき、勝手気儘な光を放っていたはずだ。
これを夢の世界と言わずして何と言うか……
やがて人々は無秩序な星達の一つ一つをつなぎ合わせて、文脈となし、そこに「意味」を見いだすことになる。そして物語が紡がれ、神話が誕生する。
案ずるに、星の一つ一つには、仮に名前が与えられたにしても、それは単なる記号に他ならず、星空とはすなわち、無味乾燥の退屈な辞典のようなものだろう。
辞典は確かに夥しい言葉が登録されてはいるが、そこには文学も哲学も見いだすことは叶わない。ランダムな星の組み合わせを以て、「おとめ座」「うお座」「おうし座」「てんびん座」「さそり座」……等々、物語の要素が蠢き出すように、辞典の中の無表情な言葉達も、人間の想像力に稼働されて命を持つはずである。
星の消え去った夜空は……なんだか、落丁し、ページすら無作為にむしり取られた情けない辞典のように思えていまうのだ。
その有り様は、そのまま我々の夢の写しではないのだろうか?
光が輝く土台とは、言わずもがなの「闇」に違いない。闇が深いほどに、光は躍動するものだ。
しかし、「闇」は追放され、「夜」は威厳を失い、文明の明かりの奴隷に身を持ち崩した感である。
そして、地球から家出してしまった可憐な星達に代わって、無慈悲なるネオンやLEDどもが、我が物顔に「闇」を犯し、「夜」を蹂躙する。
果たして、人間の、お粗末な「作為」を以て作られた新たなる「星もどき」に……我々は、何か物語を紡ぐことが出来るのだろうか?
当然、そこにコマーシャルとしての、拙いメロドラマを散見することで、殆ど矯正された義務として享楽の一翼を担うことは可能かも知れない。
已んぬる哉……もはや、目を閉じ……プラネタリウムではない……我々が生まれる前の、満天の星空を想像することしか術はないのだろうか?
せめて、ギターの弾き語りを以て、「冬の星座」の続きを歌い……今宵は心を慰めるつもりである。
ほのぼの明かりて 流るる銀河
オリオン舞い立ち スバルはさざめく
無窮をゆびさす 北斗の針と
きらめき揺れつつ 星座はめぐる
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