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路地の消えた街
この所、マンションと言うか、特にタワマン乱立が目につく。
別に、昔の街の景色が変貌してゆくことにトヤカク愚痴るつもりもない。
それでも街の再開発と並行して、昔ながらの「路地」がどんどんと消えてゆくことに一抹の不安を覚えるのだ。
路地とは言わずもがな……家と家との間を巡る狭い通路のことである。
僕がガキの頃は、街中、路地がクモの巣のように巡っていて、悪戯好きには格好の遊び場であった。
路地を経めぐってゆくと、つい人家の庭に出くわしたり、爺さんが居眠りしている薄暗い部屋がチラと見えたり、出し抜けにポンプ式の井戸があったり、ちょっとした竹林や雑草だらけの空き地に繋がってもいたと思う。
たぶん、集合住宅なんぞより、狭くてもボロくても一軒家が多かったせいかも知れない。
仮に、現代のマンションの部屋部屋を独立した家と見做すならば、定めて廊下や階段は路地に当たるのだろうか?
いけない。つい遊び心で踏込もうものなら、即警察沙汰に違いない。
そう。どんなにデカかろうと、集合住宅に路地は存在しないのだ。
代わって、交通手段としての道路が唯一の街の通路になる。
例えるならば、太い血管ばかりで……毛細血管が取り除かれた人体のようなものだろう。
犯罪は減るし、合理的で、カツ清潔でもあるのだからいいじゃないか……と捕らえる向きもあるかと思うが……僕は、どうしてもかかる状況を自らの頭のカラクリと見做して考えてしまうのだ。
まあ、ある種の呪術的思考だろう。
科学的にはなんら脈略はないのに、二つのモノを野性の勘を以て結びつけてしまうのだ。
はっきり言えば、未開人の感性である。
月の満ち欠けを、自分の日常とリンクさせるに似た思考だろう。
路地の存在しない思考とは何か?
自動車の行き交う道路を行き来する思考は、どんどんと合理化され、大量の情報を運ぶにはうってつけかも知れないが……本来なら路地に迷い込みそうな瑣末な情報は限りなく淘汰されてゆく。
単純な命令や指令の類いは大手を振り、「ちょっと待てよ」的な路地的思考は、交通整理されるだろう。
たぶん、これからも街からはどんどんと路地が消えてゆくに違いない。
案外、国家の指導者達は……街同様に、国民の頭の中の路地まで消し去りたいのかも知れない。
不穏なる路地的思考は、いつでも単純かつ合理的な新開発に疑問を呈し、……ああだ、こうだと、思考を巡らせるはず。路地を追われた野良猫のように……
たぶん、かかる非合理と野性が気にくわない輩がいるらしい。
仮に、街から綺麗サッパリ「路地」が消え失せたとしても……頭の中の路地だけは、断固として経めぐらせておきたいものだ。
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