支配からの卒業
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尾崎豊の「卒業」という歌の歌詞に、校舎の窓ガラスを壊して回る描写がある。
かく言う僕も、この歌ほど派手ではないが、学校の窓ガラスを故意に、叩き割ったことがあった。
中学二年生の時だ。あらかじめ言っておくが、僕はまったく不良とは無縁の生徒だった。
そう。理由は覚えていないが、ちょっと下校が遅れた日のこと、下駄箱を納めた出口のガラスが見事にぶち割られているのを目撃したのである。誰がやったとも知れなかったが、近くにかなり大きな石が転がっていて、それなりの見物(みもの)だったわけだ。しかも当のガラスというのが金網が中に入っているかなり頑丈な作りだっただけに、その罅の入り方といい、子供ごころにかなり壮観なながめだったのだろう。スッゲェ……僕は変に感心して、しばし見詰めてしまったのだ。
あたりに人はいなかったし、薄暗くなりかけていたので、僕はそのまま帰宅の途についた。
明けて、僕は授業が終わった後、職員室に呼び出された。そして、昨日のガラス破損の犯人と断定されたのだ。もしかしたら、壊れたガラスに見惚れていた僕を、誰かが目撃して、密告したのかも知れない。
もちろん、潔白の僕は無罪を主張する。しかし、教師(もしかしたら事務系の人)は既成事実とばかり受け付けず(唯一の論証は僕が目撃を届け出なかったことらしい)、話は当の網ガラスがいかに高価であるかと話を進め、
「お前のような貧乏人の家で弁償できるのか!」
と、居丈高に捲し立てる。僕だって戸惑ってしまい、口もきけなくなる。このままでいけば、家族に通報され、僕は犯人としてどんな叱責を受けることか……
ここで、教師は声音を落として、妥協案を開陳する。
「親には黙っててやるから、この場で反省文を書け」
理不尽もここまでくれば、呆れるしかない。なにせ十三、四の子供相手なのだ。
泣きはしなかったが、心では確実に涙を流しながら、僕は有りもしない罪の贖(あがな)いの一文を綴るハメになったのだ。
しかし、腹の虫はおさまらない。おさまるわけがない!
一週間ほど後、クラスの友人に当事案について話したあと、やはり下校が遅くなった日のことだ。僕はその友人の目の前で、すぐそこの技術家庭の教室の窓ガラス(これは一般の安いやつ)を、落ちていた石で叩き割ったのだ。友人が青ざめたのは言うまでもない。それでも、僕には一つ確信があった。ここでやらなければ……僕は一生負け犬で終わる……と……
翌日の朝礼は、険悪であった。校長の訓辞に、昨日教室の窓ガラスを割った生徒がいる。今日のうちに正直に申し出ろ……。友人は少なくとも、告げ口はしなかったらしい。
そして校長はこう締めくくったはずだ。
「正直に申し出ないならば、その生徒は将来、大悪党になるだろう……」
校庭に直立したまま、心で吐き捨てた科白を、僕は今でも鮮明に覚えている。
「ふん、なってやろーじゃねーか!」
まさしく、僕にとっての、「支配からの卒業」であった。