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荼毘残怨

強烈な日差しがコンクリートの隙間から差し込み、焼けつくような暑さが静寂を覆っていた。外の世界では生命の営みが続いているが、ここには重苦しい沈黙が漂い、生と死の境界が曖昧に感じられる。蝉の声さえ、この場所には届かない。火葬場のひんやりとした空気には、そこにある不気味さが息づいていた。

技師は、この無機質な日常にすっかり慣れきっていた。しかし、ある日の出来事が彼の心に深く影を落としていた。

その日は、特別な日ではないはずだった。長年繰り返される、いつも通りの作業。彼は遺体を運び、火葬炉に送り込む。何百、何千もの死者を見送ってきた手順に、特別な感情を抱くことはなかった。だが、その日だけは何かが違った。遺体に触れた瞬間から、異様な気配を感じたのだ。

遺体は無機物のはず。しかし、全身に寒気が走り、肌が粟立った。遺体の肌は異様に冷たく、死の静けさの中に、生命の余韻が残っているように思えた。息苦しさが彼を襲い、空気が重くなったかのようだった。

遺体が火葬炉に送り込まれると、突然、異様な音が静寂を切り裂いた。炎の轟音とは異なる、何かがうごめく音。耳を塞ぎたくなるほど不快でありながら、人の魂を震わせる響きがあった。技師の背筋を冷たさが這い上がり、全身が硬直した。

音は次第に低いうめき声へと変わり、炎の中に潜む存在が、苦悶の声をあげているように響いた。地下深くから阿鼻叫喚が届くかのように、火葬炉の扉を越え、火葬場全体に広がり、空間が震え、現実が歪んでいった。

技師の心臓は激しく脈打ち、逃げ出すよう体は命じていたが、彼は動けなかった。引き寄せられるように炉の中を覗くと、信じられない光景が広がっていた。燃え盛る炎の中に、遺体がそのまま残っていた。通常なら、炎に包まれ形が崩れるはず。しかしその遺体は、生きているように横たわっていた。

そして、目が合った。死者であるはずの遺体が、技師を見つめ返していたのだ。恐怖と怒りに満ちた眼差しが、炎の中から睨みつけている。その目には、生の光が宿りながらも、冷たい死の淵をのぞくかのような圧力があった。技師は全身が凍りつき、逃げ場を失った。

彼の視界は急速に狭まり、叫び声とともに空間は異界へと引きずり込まれていった。燃え上がる炎が現実を食い破り、壁も床も、すべてが暗闇に飲まれゆく。技師は生と死の境界で立ち尽くし、自分の存在する世界さえも定かではなくなっていった。

その時、炎の中から別の姿が浮かび上がった。無数の影が蠢き、うねる炎の奥底から這い出してくる。それは人の形をしていながら、人ではない何かだった。腐敗した肉塊が蠢き、骨が軋む音が響く。その存在は技師の精神を深淵へと引きずり込もうとしていた。

異形の群れは次第に増殖し、火葬炉から溢れ出す。それらは技師を取り囲み、彼の肉体と魂を貪ろうとするかのように迫ってきた。炎は青く歪な色に変わり、空気は硫黄の匂いに満ちていった。

技師の意識は混濁し、現実との繋がりが薄れていく。彼の精神は徐々に深い闇へと沈んでいった。それは死への誘いなのか、それとも別の次元への移行なのか。彼の存在自体が曖昧になっていく中で、ただ一つ確かなものがあった。それは、目の前で蠢く存在たちの持つ、冷たい生命の気配だった。

轟音と異常な熱気と共に、叫び声は霧散し、静寂が戻った。炉の中に残されたのは灰と骨。しかし、その灰の中にも何かが蠢いているように感じた。終焉の瞬間のように見えて、それは始まりに過ぎなかった。遺体は消え去ったが、その眼差しは技師の心に深く刻まれ続けていた。

日々は淡々と流れていったが、あの日の記憶は消えることがなかった。夜になると耳元で音が甦り、火葬炉の前に立つたびに視線を感じた。炎を見るたびに、何かが彼を見返しているようだった。あの日、炎の中で出会った存在が、今も彼の中に居座り続けている。

技師の精神は徐々に崩壊の道を辿っていった。眠りにつくたび、炎の中の異形たちが彼を追いかけてくる。目覚めても、現実と幻影の境界線が曖昧になっていく。彼は自分の体が徐々に冷たくなっていくのを感じていた。それは死への階段を一段ずつ降りていくような感覚だった。

彼の皮膚は蝋のように白く、触れると冷たい。鏡に映る顔には、あの日見た遺体と同じような表情が浮かんでいる。瞳の奥には、炎の中で見た異形の影が宿っているように見える。

技師は自分の精神が崩壊していることを感じながら、今日も火葬炉の前に立ち続ける。背後から冷たい視線を感じた時、彼は自分がこの世界に存在しているのか、それとも冥界に足を踏み入れているのか、もはや判別がつかなくなっていた。

彼の体は生きているが、魂は既に炎の向こう側へと引き寄せられている。技師は今も火葬場で働き続けているが、それは生者としてなのか、死者としてなのか。その境界は永遠の霧の中に消えていった。ただ、火葬炉の炎が青く歪に揺らめく時、どこからともなく低い唸り声が響き、技師の姿が一瞬、炎と同化したように見えることがあるという。

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眞名井 宿禰(眞名井渺現堂)
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