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牡丹宿り夢
朧月夜の庭に、一輪の牡丹が咲いていた。その深い紅色は、月光を浴びて玉のように輝き、静寂な夜空に浮かび上がっていた。時は寛永の末。荒れ果てた山寺の一隅で、老いた尼僧が一夜の夢を見た。
雪のように白い花びらを持つ牡丹が、月影の中で淡く光っている。その花の中心から、紫の靄が立ち昇り、やわらかな風に乗って尼僧の元へと漂ってきた。香りは白檀にも似て、魂の濁りを溶かす。
夢の中で尼僧は若き姿に戻り、かつて仕えた宮中の庭園を歩いていた。牡丹の花は一面に咲き誇り、その色は紅から白へ、白から紫へと変化していく。花びらは舞い散り、露のしずくを滴らせながら、尼僧の足元に絨毯を織り成していった。
花の精が姿を現し、尼僧に寄り添うように近づいてきた。その姿は月光を纏い、花びらのように儚く美しい。精は尼僧の手を取り、庭園の奥深くへと導いていく。そこには、誰も見たことのない色の牡丹が咲いていた。
花は金色に輝き、銀色に煌めき、時には虹色の光を放った。それは仏の国の花か、あるいは月の都の花か。尼僧の心は清らかな喜びに満たされていく。花の精は黙して語らず、ただ微笑みを湛えている。
夢は深まり、庭園は天上界へと変容していった。牡丹の花は星となって夜空に散りばめられ、その光は尼僧の心を照らしていく。花の精は尼僧に何かを伝えようとするかのように、花から花へと舞い移っていった。
月が雲に隠れる瞬間、夢は醒めた。しかし、庭に咲く一輪の牡丹は、夢で見た光景を映すかのように、なおも深い輝きを放っていた。尼僧は毎朝、その花に水を注ぎ、手入れを施す。
日が経つにつれ、不思議なことが起こり始めた。庭の牡丹は次々と蕾をつけ、それぞれが異なる色の花を咲かせていった。紅、白、紫、そして夢で見た金色や銀色の花までもが、次々と開花していった。
寺を訪れる者は皆、その美しさに足を止めた。花の香りは参詣者の心を浄め、苦しみを和らげた。噂は遠く都にまで届き、貴族たちさえも花を見るために山寺を訪れるようになった。
尼僧は庭の花を眺めながら、月夜の夢を思い返す。花の精は今も庭のどこかで微笑んでいるのかもしれない。風が吹くたび、花びらは舞い、庭には花筏が広がった。
月明かりの下、花は一層の輝きを増し、見る者の心を癒していった。それは仏の慈悲の顕れか、天女の舞の跡か。真意は月下の闇に沈んでいる。ただ、花は清らかな光を放ち、訪れる者の心を潤していった。
時は移ろい、尼僧は牡丹の花の下で永遠の眠りについた。その時、庭一面の牡丹が一斉に花を開き、花びらは天へと舞い上がった。それは花の精への帰還か、あるいは尼僧の魂の昇天か。庭には淡い香りだけが残され、月の光に照らされた牡丹は、今宵も静かに咲き誇っている。
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