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折り合い

25日間続けてきたnoteの投稿を昨日落としてしまった。

疲れていたせいか、風呂とご飯を終えて少し寝ようと目を閉じたのが尽きだった。

ちゃんと目覚ましで起きたのだが、同時に地震もあったのに。また眠ってしまった。

目が覚めたら夜中の3時だった。

終わった。

どうしようもない後悔が私を襲った。

しかも仮眠から覚めたらしようとしていた録画も落とした。

同時に怒りも湧いてきた。こうなるともう芋づる式で手もつけられなくなる自分に対する怒り。

ちゃんと発表されたときにさっさと録画予約すればいいのにしないからこうやって後の自分を絶望させるし、忘れたことに気づいたときこうやってイラついて疲れる。

それに、最近連絡の返しが遅い、溜める、そうしてると会話の熱も冷めるし失礼だし、心が離れて行ってしまう。溜めると自分が返さなきゃといつも自分の頭を支配して焦る。

わかってるはずなのにやらない。

それに、仮眠しかも夜になんて成功した試しがないのになぜできると思ったんだ?何年自分をやってるのだろうか?

人生100年時代と言われていて、私も例に漏れないのならば人生の4分の1をもうやってきたはずなのに本当に何を学んできたのか自分?


しかし以前の記事「滑稽」で怒りとかの一次感情のコントロールにが課題であると書いた。

そこで今回は発想の転換を行った。

録画に関しては、自分のテレビにできなかったのは落ち度だけど、今は配信アプリで見ることができるからまあ、まあ救いようがある。

投稿を落としてしまったことは、ダイエットのチートデイだと思うようにした。

投稿するネタができたと思えばいいし、毎日焦っていた気がするから、休み。

でも今日からは落とさないように意識して生活していく。

そう決めた。

こうやって失敗してしまった自分に折り合いをつける。

はたから見れば、正当化と言われてしまうかもしれない。

だが、正当化と折り合いの違う点は、その先を見据えているかどうか。

これに尽きると思う。

正当化は「しょうがないよね〜」で済んでしまうが、折り合いは次はこうしようと決めることと、一次感情のトリートメントも完了させることだ。

折り合いの中から改善点だけ拾って直していこう。

自分がこうやって自分と折り合えるようになったのは成長だなと感じた。

(Photo by shinobuwada、thanks!)



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