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病院行って、分かった事

こんにちは、アルゴンでございます。


天気が良くて、散歩日和でした😊


皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

私は、花粉が酷く、鼻が死んでいますが・・。


3週間事に行っていて、今日はちょうど良かったなと思った。


一昨日、B型のこともあったので、そのことを相談した。


医者 波があるんだね、僕の経験上、こうやって上がっていく人は見たこと  ないんだ。だから、普通だよ、皆こうやって波上がったり、下がったりして乗り越えていくんだって。

  一喜一憂する必要なんてないんだよ 少しスッキリしたかな?


その言葉に涙が出そうだった。


同じなんだ・・って。


B型の時、周り皆頑張ってやっている姿を見ていたから、自分だけと思っていた。でも、B型の管理者の方も同じようなことを言っていた。


皆体調に波がある、週に2回増やそうと思った人がいてね、でも、中々上手く行かなかったから、週に1回にしようかって感じで、波があるんだ。


自分を認めるのって中々難しいよね・・💦って言っていたのを思い出した。


今の自分も認めていないんだなって。鬱という病気、波があることを知っていたとはいえ、認めていなかった。


普通に働きたいという一心の思いから、ずっと自分に無意識に厳しくしていたんだなって。家は、あまりないけど、外だと尚更出てしまう。心や脳はそれでずっと傷つけさせた事。


親の思い B型でも週に1回でも働ければ、立派。楽しんでくれたら御の字。例え、私達がいなくても、何とかやれるようになれば、安心できる

             ⇕

私の思い 親や祖母に安心させたい。皆と同じように取り戻したい

     他の人と違うなんて嫌。頑張っていない自分が嫌だ

     どうして、精神疾患で苦しめなくちゃいけないの?


すれ違いの思いに気づいた。


鬱になった前とまだ何も変わっていないことに気づいた。


自分に優しく出来ていないことに。


そして、鬱特有の焦りや不安に一喜一憂して、自分を責めていた。

何か自分がやらかすと、どうして、こうなってしまったんだろうと落ち込んで泣いてしまう。



少しでもSTEP出来たら、それでいい、そう思いたいけど、出来ない。


どうしても、役に立ちたい、こんな自分なんて嫌だという思いが大きい。


こんなのは自分じゃないって。


何より、悪友、私の事をいい思いをしてこなかった人達が普通に数年後働いているのを見たら、きっと比較しちゃうだろうし、悔しくなってしまうかもしれない。嫉妬しちゃうかもしれない。


自分が楽しんで、自分が幸せならそれでいい。そう思えたらいいな。

だから、いい意味で他人を気にしていない人って凄い憧れちゃいます。


例え、誰に嫌われようとも、誰かは好きでいてくれて、そして、自分自身も好きでいないと、世の中やっていけないだろうなというのを痛感した。


自分自身が嫌いだと、ついつい、我慢してしまったり、弱音を吐くことは悪い事だと抑え込んでいた。


強がっていた。冷静に考えれば、強がらなくても、普通の人でさえ、勉強で例えると、今日はやる気出たけど、次の日はやる気が出ないみたいに、体調や心の波があることに・・。


尚更、精神疾患にかかったら、波があって当然の事だ。


なのに、そのことに気づいてなかった。自分だけ違うみたいな錯覚にも囚われていたのかもしれない。


父や母が頑張っているのに、自分だけ・・というのもある。


妹も部活で頑張っているのを見ると、自分は・・ってなる。


他人と比較して、そして、嫌なことから逃げ続けた私にとって、鬱になった瞬間、休むというのが嫌だった。


嫌な事から幼い頃逃げてきて、それが嫌だったから、我慢ということを覚えなくちゃいけないと思った。


それも、大切だけど、時には弱音を吐いて、休んだっていい。


自分のペースでゆっくり、自分にとって物足りない位がちょうど良いかもしれない。


でも、脳は、そうはいかない。早くしないと!という思いにとらわれる。

でも、病院の先生ではっきりしたことは、皆鬱で苦しんで、リハビリでも苦しみながらも、波があるから、そこを理解して、今日は波があるから、少し早めに帰ろうとか、弱音はこうとか、いい子ぶらずに、愚痴を時には吐いたっていい。涙を出したっていい。


友達にも、皆は私を好きでいてくれているからこそ、もっと私も本音を言ったり、悩みをもっと打ち明けたり、愚痴を言ったりして、そういう事をするのって大切だったなって。雰囲気を壊すの嫌だなという自分がいた。

でも、鬱になっても離れない友達は、私がたまに愚痴を言ったり、弱音を吐いても、ちゃんと聞いてくれる。辛かったねと慰めてくれる。

だから、もっと本来の自分をさらけ出していきたい。



帰り道、入学式を終えた小学生が帰っている頃だった。


あの頃は何も考えていなかった。あの頃に戻りたいと思った・・。


でも、悪友がいたし、自分は何も世間的な事を分かっていなかったら、常識離れしていた。戻りたいなとは思ったけど、結局は微妙な感覚・・。


いつの間にか、心の奥底に隠していたことを。


家族以外にももっと、素でいられるようにいたい。


本当の私は、誰かに助けを求めてもらいたい、話すのが好きだから。


そして、自分のペースでマイペースにやっていくという事を忘れちゃいけない。人によっては、病気の個人差もあるということ。


自分に見合った事をやることが大切だと思った。


他の子みたいに、出来ないかもしれない。


でも、少しずつでいい。認めるのも少しずつでいい。


好きになることも。


波があるのは皆同じ。リハビリですら、波があるのも同じだから、一喜一憂するのではなく、今日は波があったから、しょうがない。


そして、ストレスに対する反応も今日は疲れたんだなと労ってあげることにする。


そう感じた日でした。次の日になったら、忘れちゃいそう(;^_^A

だから、脳の中で、少しでもいいから、今日も頑張った私と唱えるようにして、涙が出た時はもう一人の自分を出して、頑張っているよ、大丈夫だよ!と労って、自分で自分を好きになるようにしていくのも課題。

鬱というのは、自分を好きになって、自分を理解していけ!身の丈に合った、自分のペース、体を労りなさいという合図だったかもしれない。


そう考えるようにしよう。


今日はここまでです、最後まで見てくださってありがとうございましたm(__)m

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