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石は何個?の龍安寺石庭
龍安寺石庭(京都市右京区)・・・枯山水の代表格ともいえる「龍安寺の石庭」。方丈南庭の70坪に造られた石と苔だけの庭園は、1975年にエリザベス2世が石庭を称賛したことにより世界的にも有名となった。15石で5つの石組みを構成しており、石庭には黄金比や遠近法という西欧手法がとられている。制作者は江戸幕府の茶人としても知られる庭園デザイナー・小堀遠州と推測される。
年間を通して観光客で賑わう京都も1月の半ばはちょっと人が少なめ。借景の枝垂れ桜が咲く頃ならば人でごった返す龍安寺も縁側に腰を下ろして何を気にすることもなくこころゆくまで石庭を味わうことができる。
そんな中、制服を着た中学生5人の一団がやってきた。先導役をつとめるのはタクシーの運転手さんとおぼしき男性。
「さあ、石はいくつある?」(運ちゃん)
純朴そうな生徒たちが数をかぞえては「14」「15」とそれぞれ答えを返す。
「隠れてるのもあるからまあ、15ってところだな」と運ちゃん。
一団が脇に行ったのでこれから本格的に庭についての説明があるのかしらん、ならば私にも教えてくださいなーと何食わぬ顔で近寄って耳をそばだてた。でも話題はずっと石の数に終始したまま。
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そして次にご一行が目を向けたのは襖絵。特別公開された水墨の雲龍図は細川護煕元首相の手によるもので、運ちゃんが「これは昔、首相だった人が描いたんだ」みたいな説明をすると、その頃にはまだ生まれてなかった生徒たちは、そうかい、と感心した風情でうなずいている。そしてほどなく一団は寺を後にしたのだった。
えっ、ちょっと待って。そんな駆け足でここを離れてしまうのはもったいないんじゃ。。。もうちょっとここで深く掘り下げて学んだら。。。
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例えばだ。あれほど議論していた石の数にしたって、
この石庭に配置されている大きな15個の石は、場所を変えても1個は見えないような仕掛けになっている。された一個は「心眼(しんげん)」で見るためだという説がある。心眼とは仏教用語で「物事の真の姿をはっきりと見きわめる心のはたらき」(引用:善峯住職のほんわか説法)とされている。果たしてそんな意図が込められているとしたらなかなか、深い。。。
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そしてこの寺のもう一つの目玉、水戸黄門こと水戸光圀が寄進したとされるつくばい。4文字「吾唯足知(われただたるをしる)」をうまくあしらったデザインの秀逸さもさることながらこの言葉の持つ意味もまた深い。
コップの水が半分しかない、あるいはまだ半分あるという認識の違いで例える人もいれば、今の物質主義を憂える場合に引用されたりといろいろな解釈がなされている。
それもこれもネットを調べればいろいろ出て来る。ただ、修学旅行という絶好のチャンスだ。せっかくならばもうちょっと長居して、さらに欲を出せばお寺の人なりが直接生徒たちを案内してこの寺と石庭に秘められている仏教の心あるいは精神(のようなもの)を伝えてくれたらよかったのに・・・。
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宗教にはもちろんやっかいな面もある。宗教という名の下、人の弱みにつけこんで物を売りつけるようなこともあれば、もっとひどくなれば神の名において戦争まで引き起こす。けれどもその一方で、人間が生きる指針やよすがとして、存在してきたのもまた事実。そしてそこから花開いた文化だってある。
あらゆる宗教のいいとこどりを目指す八百教の一味である私には、仏教についてもっと知っとけばよかった、という反省がある。日本を出ると日本人=仏教徒とみなされて、ことあるごとにグイグイ質問される。なのに私ときたらまるでお手上げ状態で恥ずかしい思いをする。(これは日本の歴史についても同じ)日本の社会と人の行動や考え方に少なからず影響を与えているのだろうから日本仏教(神道も)の基本的なことは抑えておくべきなのだ。
と、ここまで偉そうに書いて気づいた。私もかつては寺社仏閣ときくだけでゲンナリしていた子供の一人だったことに。今回だって「庭」という自分の関心事があったから喜び勇んで龍安寺を訪れたのだった。駆け足で見物する中学生に仏教(神道)を学べとしたり顔で語る資格は全くなかいではないか。
そうだ、そうだ。修学旅行は楽しく仲間と過ごす若者の大事な青春の一コマ。知ったかぶりの大人がとやかく言うことじゃなかった。
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日頃、咲き乱れる花や木を楽しむスタイルの西欧の庭に慣れている目からすると、苔と石で構成される枯山水の庭は型破りに映る。どうしたらこんな発想が生まれるのだろう。
季節と時の移ろいを背景にある自然と天体に任せ、自らは何の動きも隙も見せずそこにたたずむだけ。常に周りに左右されながら揺れ動きまくる不完全な人間の心とまるで対照的。
この庭を作った人は、またここで修行している僧侶の方々はこの庭に何を見た、見るのだろう。
いろんなことを学び、考えさせられもした龍安寺への旅は私にとっては大人の修学旅行だった。もっと勉強してもう一度この庭と向き合いたい。できれば豊臣秀吉が絶賛したという侘助椿の咲く頃に。
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