今月の誕生日で還暦を迎える。 定年を迎える。 先人の教えもあり人生の節目なのだろうか。 かねてより不思議だったのだが 還暦に”赤いもの”を贈るという 風習がどうしてできたのか? 調べてみた。 最近は便利だすぐ分かった。 赤が「魔除けの色」とされていたことに因んでいるらしい。 もうひとつの理由は 「正式には60通りある干支が、60歳で一周するということで、赤ちゃんに戻る」という、 生まれ直しの考えもあるらしい。 私の場合は甲辰(きのえ・たつ)と言うのだそうだ。
自覚なく自ら不幸せを導く場面も あろうがほとんどは誰しも幸せになりたいと 願っている。 その先に思い描く姿は人の数だけさまざまだ。 そなわった個性は時を重ね更に培う事で 自己実現への手助けとなり後天的に 大きく作用しうるものに“しつけ”も顔を出す。 鉄は熱いうちに打てとばかりに子供時代、 行動習慣を育てることを意図された行為で 主に基本動作だったと記憶している。 “あいさつをする”、“うそをつかない”、 “片づける”,“返事をする”等々だろうか。 これらを身体に刷り
いつ頃からだろう ”出来ること“、“やりたいこと”を天秤にのせ “出来ること”をあたりまえに優先させてた 自分を見つけた。 その気づきに驚き、 嬉しさ、懐かしさを伴う混合した感情を置き忘れただけなのに何かを発明したような心躍る自分に微笑みかける。 “出来ること”はうまくいきそうなことであったり成功しそうなことを選択、期待し マネージメントという魔法の杖の如く道具を 万能とする過信も手伝ってそれを 縦横無尽に駆使することでリスクを遠巻きに 見ながら失敗しないゴールを仮説とし
価値観を感じたり動機が高まることは 誠実、 信頼、 幸せ、 変化、 後悔しない・・・だろうか。 特性でもあり“時”と“環境”の助けもあって培ってきたこととして思いつくのは スピード、 行動、 意欲、 前向き、 好奇心、 分析、 探求、 計画、 創造、 乗り越える、 ぶれない・・・ 弱みを強みにするより弱みは弱みとして 泣きどころでよく、己を知り強みを活かして ゆくのが手っ取り早くもありそれほど器用でもないこともあり驕りもなく正解なのでは?と常々感じてもいるが発揮したい
メンタルが強い、弱いと表現される。 メンタルが強い状況はどういう状況を指すのだろう?どうなりたいのだろう?どうしてそうなりたいのだろう? 不動心という動揺しないことを指す言葉もそれらの疑問を手伝う。 そもそも動揺しない人なんているのだろうか?と羨む人もいよう。 自己実現のために 心が強くなりたいと思い悩み、模索し、 魔法の杖を探し求めるのだろうが 筋力トレーニングを経て肉体改造し自身に 鎧をまとうかの様な姿を思い浮かべたりしてるのかも知れない。 メンタルを“鍛える”
学び。 誰かに何かを教えてもらったり 自ら何かを知るために勉強するとかをさすのだろうが 何故、学ぶのだろう? 学生時代、自分の思い通りにことがすすんでないのを棚にあげ勉強に対し身勝手に言いたい 放題だったのを思い出すと懐かしくもあり つい笑みも浮かぶ。 両親のアドバイスで勉強そのものから知識を得れることもその通りだが、付随的に忍耐力、 計画力、実行力も育成でき創造性や 心の豊かさ、判断力に豊富な切り口を生み 物事に対する理解力が期待できると・・・ それが教養だとも教え
“分別”という言葉がある。 二つの異なる内容が用意されており 一つは種類によって区別・区分すること、 違うものを別々に分けることを意味し ゴミの分別(ぶんべつ)回収などと用いたりする。 一つは世事に関し常識的で慎重な考慮・判断をすること、またその能力を意味し 分別(ふんべつ)をわきまえるとか表現されたりしている。 成長過程と分別(ふんべつ)が引き合いにだされることは多々あろう。 時を経て行動を重ねるにしたがい 分別(ふんべつ)が期待されるのだろうが 個々の感じ方もあり
頑張るが嬉しくない時がある。 子供の頃までさかのぼり 今となっては長い付き合いとなったが “頑張る”が“努力”の過程も含め 頑なに張り切り、結果を約束させられ 息が抜けない感じに息苦しさを覚え 躍動のない圧に襲われることがあるのも事実だ。 エネルギーの向け先によって誤解から醸しだされる雰囲気を察知して嫌悪が消耗を造る。 運動会での4×100mリレーは脳細胞に刻み込まれている。 第1走者から第2走者へと順に各々がバトンを受け渡し第4走者のアンカーまで全速力でつないでゆく
「旅」が嬉しい。 「観光」と言えば景色や行った先々を見物すること、「旅行」も同様に家を離れ他の土地へ行くこととして用いられることが多いと思われ 「旅」とは距離をおいていた。 「観光」・「旅行」と「旅」との違いを目的地に至るまでの過程を重視しているかどうかという自分なりの解釈をしてるところがあり目的地に至るまでの道のり、出会った人々、見たことのない景色などすべてが「旅」の骨格になると考えている。 「旅」は到達までの時間をも楽しみ、 「観光・旅行」は到達してからの時間を楽し
“節目”という言葉がある。 「ふしめ」、「せつもく」の二通りの読み方ができるようで 「ふしめ」と読むと 「木材・竹などの節(ふし)のあるところ/ ある事柄の区切りとなるところ」の意味となり 「せつもく」は「草木の節(ふし)のこと/ 小分けにした一つ一つの箇条のこと」の意味として用いられると言われ 「ふしめ」というのは、「せつもく」よりも 大きな区切りを意味するようだ。 日常的には「ある事柄の区切りとなるところ」の「ふしめ」としての登場が多いのかなと思ったりする。
猛暑が続いている。 報道によれば命に関わるとも伝えられるほどの暑さには閉口する。 実際、熱中症警戒アラートなるものもでており驚きでもあるがそれが普通に感じられるようになってきているのも私だけではないように思える。 8月6日は亡くなった父の誕生日だったが当時の父は「暑い日に生まれたんだよなぁ」と言った後、特に子供の頃に多かったと記憶しているが広島に原爆投下された日でもあり戦争の悲惨さを教えてくれ、額の汗を拭いながら蝉の声が ひびく木々と高く眩しい太陽を見てた自分を思い出す。
成功のためにとかでもなく最近、論理的思考力を育み始める小学生頃の感覚にたちかえり何が好きで、何をしたかっただろうかと思い返すことで打算や損得や他人との比較から離れ 真の自分自身に会えるのでは?と感覚的に思い始めていた。 例えば絵が好きとかいってもそこには 色々なアプローチがあろう。 絵を観るのが楽しい、絵を批評するのが楽しい、絵を買うのが楽しい、絵を売るのが楽しい、絵を描くのが楽しいといった具合に どんな行動をしてそれが好きだったかそうでもなかったのかの観点で判断すること
母方の祖父を思い出す。 母の実家は綿問屋を経営しており遊びに 行った際の夕飯などはいつも祖父と父が仕事の話しをビールを交わしながら笑って話してた 横顔が懐かしい。 「なめてみるか?」と祖父にビールを注がれたコップを渡され少し大人になったような気で 嗅いだことのない泡からしてビール臭を 感じながら舌先でペロっと舐め、 苦虫をかみつぶしたような顔でコップを返し 皆が笑っていたのを訳もわからず一緒に笑った。 いつも遊びに行くと「元気かね?」と 声をかけてくれ、私が初孫ということ
アメリカ生活、 セントルイス、チェスターフィールドの サブディビジョンに居をかまえ少しばかり 落ち着いてきてからの話しとなる。 私の仕事の都合で突然アメリカに行くと 告げられた家内と息子と娘、 私たちにとってかけがえのない忘れられない 景色が始まることになるのだが、 家内は私の仕事柄、理解は早かったのだろう。 それでも実際に現地入りしてみると言葉や 生活習慣含め不慣れなことも多い連続だった 状況でも持ち前のガッツと好奇心旺盛さに加え生来の明るさで 日々、過ごしていく中 な
出張では何度か訪れてはいたが家族と共に 日本をはなれアメリカで生活したことがある。 私自身も初めての海外生活であった。 仕事の都合で家族より1ケ月ほど前に渡米し 一旦、単身状態で生活インフラの整備も 同時並行ですすめていた。 所謂、社内では“1人駐在”と呼んでいたが この地域には私の会社の他の駐在員及び家族がおらず、そういったエリアにおいて当時は 現地人事部のケアも薄かったため家探しから 賃貸契約やプライベート用の車探し及び リース契約も自分で対応するわけで平日は 仕事
“転機” 父の死は、別れの悲しみは言うまでもなく 命の儚さを思い知らされた。 波のように押し寄せた病の変容に恐ろしさと 悔しさと虚しさをおぼえ 奇跡を信じ日々、父に向き合った 母の姿に尊さを感じ 離れて生活してた私に毎日欠かさず父の姿を メールで送ってくれ心配かけまいと 「今日も元気!」のメッセージ。 父の写真を冷静に見れずたった1%の可能性が100%の希望のように感じられ、 兄弟二人の間だけで分かりあえるメッセージを 送ってくれてた弟の気持ちとその情け深さに 文字が