援
頑張るが嬉しくない時がある。
子供の頃までさかのぼり
今となっては長い付き合いとなったが
“頑張る”が“努力”の過程も含め
頑なに張り切り、結果を約束させられ
息が抜けない感じに息苦しさを覚え
躍動のない圧に襲われることがあるのも事実だ。
エネルギーの向け先によって誤解から醸しだされる雰囲気を察知して嫌悪が消耗を造る。
運動会での4×100mリレーは脳細胞に刻み込まれている。
第1走者から第2走者へと順に各々がバトンを受け渡し第4走者のアンカーまで全速力でつないでゆく。
無我夢中。
授業が終わり校庭のトラックに
自分たちの意志と笑顔が体操服に着替え、
夕日の眩しさに目を細め繰り返し
何日もフルスピードの4人。
運動会最後の種目だったと記憶しており
大歓声のうねりのなかを疾風の如く空まで
駆け抜ける自分たちの姿を想い胸おどっていた。
Do our best! が嬉しかった。
誰から言われたわけでもなく自分のなりたい
自分を内に秘めトップギアで目指した。
熱狂する歓声を全身にうけ
最初にゴールテープを切った!
メンバーも駆け寄り皆で抱き合った時の充足感は自分たちを代え難いものに昇華した。
声援するのも声援されるのも志しにエールを。
そう思っているのは多分、私だけじゃない。