2020/7/10 ドキドキ文芸部とか
●「勇者ああああ」で紹介されていた「ドキドキ文芸部」やってみた
すごすぎる!!!!
たしかに何度もドキドキしたし、でもあれは下品なドキつかせ方じゃない。「ゲーム」という0と1でできた世界だからこそなしうる、新たなドキドキ体験。0.1や0.2があったらああはならない。
なのに扱ってるのが「文芸」っていうのもいいなあ。プログラミングが行うこの上なく人間らしい行い。
ゲームの壁を打ち破るような良作。
シナリオも激アツ。
言ってしまえばギャルゲーなんですが、やっぱりゲームだから出てくる人がみんな自分のこと好きになるように仕向けられてるっていう前提の活かし方がさすがだなー。別に前提を覆してるわけではない。活かしてる。
あとこれプレイ後にオモコロの人たちが実況してる動画を見つけてみてみたんだけど、「実況だからこそ」見れた爆裂ドキドキ展開があって感動した。どんだけ作り込まれてんだ。
ネタバレご注意ですが、まじで鳥肌立った。
ドキドキといえば恐怖ですが、この解説動画も面白かったな。
個人的に1番意見が合う映画好き芸人の方です。
「胸糞」と「ホラー」の違いが「克服可能であるか」という指摘に膝を打った。
例えばもし俺が映画の中に入り込んでたらその子を助けに行けるのに…!という状態で子供が殺されたら胸糞。
しかしホラーの場合、行ったとて相手はバケモノなので助けられるかわからない。超自然的な力も使ってくるだろうし、急にドン!!!!って出てこられたらどうしようもないし。
ホラーにはある程度の克服不可能性がある。
こう考えると「ホラーゲーム」ってどうなんだろう。
ゲームである時点でこっちにも裁量があるので、行ってしまえば電源切っちゃえばおばけの恐怖は克服できる。
……ってなったとき、本当に怖いホラーゲームってこの「電源」のところまで侵食してくる作品のことなんだろう。
呪怨にあんまりホラーを感じなかったのは映画館で見なかったからっていうのもあるんだろうな。Netflixなら最悪スキップできるから「克服可能」。ただ、このどちらかといえば「胸糞」に分類されてしまう要素をMAXまで不快なものに仕立て上げてるから「怖さ」も担保できたのかもしれない。
●見た映画1「アナイアレイション」
ビジュアルが良すぎて写真を3つも貼ってしまいました。シマーという光に包まれた場所の生態系がバグり、サメとワニのハーフやヒト型植物(3枚目)が繁殖していた…という話です。
「生態系のバグり」の要素で「人間と動植物の境目」をぶっこわし、かなりでかいスケールで我々のアイデンティティを問うてくる。
と、思いきや有名な思考実験を模している(と思われる)シーンで、人間の中の「私と他人の境目」すら壊しにかかる。
神秘的な映像で「あなたは何?」を突きつけるいい映画でした。
ただ、主人公+仲間たちが生物学者・地理学者・物理学者・心理学者という学問アベンジャーズなのでそれをもっと生かして欲しかったな…
起きることが不思議過ぎてみんな知能投げ気味だった気がする
●見た映画2「トゥループゼロ」
アマプラオリジナル。
1977年。それぞれどこかマイノリティ要素を抱える悪ガキがチームを組み、ゴールデンレコード(NASAが宇宙に送ったレコード)に肉声を録音するためガールスカウト大会で優勝を目指す話。
「ゴールデンレコードに肉声を録音するため」ってこの世の「目的」の中で1番イケてるんじゃないか?
ちなみにタイトルはチーム名なんですが、ガールスカウトのチームにつける番号が全部埋まってたので仕方なく「ゼロ」を使って特別エントリーしたという所以がある。
命名の時「ゼロは無限だからいいね!」となっていたのが最高でした。
その他もろもろピュアでオシャレなシーンが詰まっててかなりよかった。音楽もナイス。
クライマックス〜エンドロールにかけてはマジで最高の流星群が降りかかってやまないので全人類にお勧めしたいな…。
一瞬「え!?」ってなるんだけども、それまでの流れがちょっと綺麗過ぎたので飲み込みづらさが逆に良かった…よく考えたら純粋無垢だからこそなせるワザですし…
●「わかりやすさの罪」読了。
タイトルがこれなだけあって、本書も作者が戸惑っていく過程を一緒に戸惑いながら見ていく感じ。
基本的に「わかりやすさ」が悪影響を与えた例がポンスカ出てくるんですが、構成がうまくて頭ゴッチャにはならないようになってる。
でも本の中では「見切り発車で先のこと考えず書いてる」って言ってたので情報のDJ的な使い方が抜群に上手いんだろうな。
多種多様な論考のごった煮ではあるのでところどころ「それは違うだろ」って思うところもあったけど、この批判精神こそが大切ということもわかった。
いや、ここですぐ「わかった」とか言うのもよくないんだよな。なんで批判精神が大切なのか?
でも明日バイトだからもう考える暇ない!
そんな忙しい毎日を送っているからこそ忘れてしまう「物事はそんなすぐわかるもんじゃない」「自分が何もかも理解してると思うな」「わかりやすさにすがるな」「わからないことを恐れるな」は胸に刻んでいきたい
思えばこの日記もだいぶ「わかりにくい」ものだろうな。文章術みたいなの全然意識にしないし推敲もしない。一貫したテーマもない。
逆に表アカウントの記事はかなり構成を考えてここのアカウントよりは「わかりやすさ」も意識してはいるけど、この両輪でアウトプットの場を持つことは重要かもな。
とはいえ自分の表アカウントの文章も「わかりやすさ」か「品」なら後者を取る癖があるので一生大衆の支持は得ないだろうなと思った……
タイトルもそれだけでは記事の内容全然予想できないし、エッセイっぽい自分語りと雑学と思考の過程ゴチャゴチャだし、説明も最小限にしたいからたまに知らん人から「この表現どういう意味ですか?」ってリプくるし、説明したらダサいからそんなの無視するし…
でも「本来はそれでいいはずなんだ」と言ってくれるような、救いの本でもあった。