私たちは決してわかり合えないということをわかり合うべき

事あるごとに抑うつ症状に悩まされる娘に対し、母親がやっと娘に対する心からの理解をしたという話。それは「私たちは決してわかり合えないのだ」ということをわかり合うことだった。

母から見た私

 私は事あるごとに抑うつ症状に悩まされる娘である。
 今振り返れば生理前のPMSじゃね?と思えることもあるのだが、当時はそんなものも知らなかったし、そうでなくてもストレス耐性がまるでなく、事あるごとに「つらい」「死にたい」と喚いていた。それは慢性的なものではなく、またうつ病を始めとした精神疾患を疑うような状況でもなかったので、私自身も両親も、私のことをちょっと甘えたところのある娘だと思っていた。
 なお、これは抑うつ状態やHSP、MBTI性格検査等への知識が全く無い状態の時の話だ。成人してから自分と向き合うために調べたり色んな人の話を聞くなりして関心を広げ、両親にも理解を広げるよう努力した現在は大分改善されている。

 そもそもが異性だから事情も違うだろうし、適当に相槌打って放っておけば自力で立ち直って解決する娘だからと初めから比較的理解を示してくれていた父に対し、母はかなり最近まで私が抱える諸問題について厳しい見方をしていたように思う。

 母はアダルトチルドレン(AC)だと思われる。ACが何かについては私もよくわからないのでネットで調べてほしいのだが、要するに母は今の私なんて比較にもならない程つらい幼少期を送ってきた。幼少期どころか、母がしがらみから解放されたのはこの十年以内のことだろう。成人しても家庭を持ってもアラフィフになっても、ずっと自分を縛り付けるトラウマと母はずっと戦ってきたのだ。

 母から見れば、私はめちゃくちゃ恵まれて幸せな環境にいる。家族は仲が良いし、両親は私のやりたいことを尊重して自由に道を選ばせてくれる。私が勝手に躓いて転んでいるだけで、私の前に目に見える障害が立ちはだかったことはない。
 だから、自他共に認める過酷な環境で戦ってきた母にとって、私が「ふええ><死にたいよう><」なんて言っているのは甘えにしか見えなかったのだと思う。
 弱音を吐くと始めは慰めてくれるけれど、途中から「じゃあやめれば」と突き放されることも多かった。「何事も前向きに取り組むのが一番です^^笑顔♪感謝♪」とのたまうこともあった。そのたびに私は、ふざけんなばあああああーーーーーーか!!!何も知らないくせに!!!と思っていた。

私からのアプローチ

 自分の感情を持ち出さず、客観的な視点で以って忍耐強く相手に語り続けることを「大人」と言うのなら、先に大人になったのは私の方だった。まあ、客観的と言うのは嘘だ。私について話しているのだから主観的なことをできるだけ客観的に聞こえる言葉を用いて説明しただけだ。
 私は16personal診断においてはINTP型でありかつHSP気質なので、分析したことを相手が一番理解してくれそうな言葉で説明するのはちょっとだけ得意である(とか言ってこのnoteがわかりづらかったら説得力無いけど…笑)
 私自身が他者への理解ができるようになったとも言えないし、賢者のように達観しているわけでもない。単純に上記のような気質や得意分野から「母には私の状況をちゃんと説明する必要がある」と判断して、それに根気よく取り組んできたというだけの話だ。

 感情で説明しても仕方ないので、調べたことを沢山共有した。
 PMSとかPMDDとか、抑うつ症状がどんなものなのか、何が原因でどんな不調が起きてこの薬を飲むとどういう原理で症状が緩和されるのか、etc...

 HSPについては私も最近知ったので、説明したのも先月のことだ。「たぶん母も心当たりあるんじゃないかな?!」というそそられる文句でもって興味を引き、武田友紀先生の著作『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本』を読んでもらった。

 これは手っ取り早かった。
 私が強いストレスを感じる要因が外の環境ではなく、私自身の中にあることを理解してもらえたのはとても強い。
 5人に1人の割合で存在すると言われているHSP。同じ星座の人より確立高いやんけと初めは眉毛に唾べちゃべちゃだったが、逆に言えば誰もが共感できるきっかけを握っているということだ。
 『「繊細さん」の本』はとても読みやすく面白く、そしてとても優しい本だったので、是非また別に読書感想文記事を挙げたいと思う。
 そして、こんな記事を読んでくださっている方にはおすすめな本である。

 話を戻して。
 私は我ながら根気よく話し続けたと思う。
 時には涙を零しながら、時にはなんでわかってくれないんだと語気を荒げたこともある。自分勝手な話だけどね。

 これらが何の効果もなかったとは言わないが、それだけの努力をしてもなお、決定打になったのは他人からの指導だった。
 私が訴え続けたことは母が「娘を理解しよう」と思う土台をつくり、そして他人からの指導を聞いた後に振り返って「嗚呼、あの時の話はそういうことだったのか」をわかってもらえる材料になった。

母、カウンセラー的な人に怒られる

 カウンセラー的な人ってなんやねんという感じだが、カウンセラー的な人はカウンセラー的な人としか説明のしようがない。
 私の感覚ではコンサルタントが一番合っている気がするが、アドバイザーでもいいかもしれない。ただ、この記事を読んでくださった方が同じようなことのできる人を探すならカウンセラーかなぁと思うので、とりあえずカウンセラー的な人と書くことにした。
 とにかくそういう、人の悩みを聞いて一言二言チラッと何かアドバイスしてくれる仕事をしている人がいたので、私も相談に行ってみた。
(カウンセラーはアドバイスしないんだっけ?それじゃあやっぱりアドバイザーかなぁ…)

 私が行ったときは復職に関する相談をした。その際に、私からは何にも言っていないのに、「あのお母さんだし大変だよねぇ」と言われた。
 正直その時はピンとこなかった。あんまり理解してくれていないなと思うこともあるけれど、理解できないなりに譲歩して付き合ってくれていると感じていたし、母が私を愛してくれていること自体には何の疑いも抱いていなかったから。

 この人は母の伝手?で知り合った方なので、元々母も相談に行っていた。私が↑の相談をした後日別の時に、別の用事でその人に母があったとき、私に関して何かお小言を言われたらしい。
 結果的にそれが母の私への理解を変える決定打になった。

 実際にその時なんて言われたのかはわからない。
 ただ、それについて母は「娘(私)には私ではわからないことが沢山あるのだと言われた」と言っていた。

私たちは決してわかり合えないということをわかり合うべき

 母も私もHSP気質かもしれない。でも、私の方が繊細度合いは高いようだ。みんなの声量が私には大きすぎるし、母が気付かないことを私が敏感に察知していることは沢山ある。
 私はINTP型で論理的に物事を考える思考癖があるが、母はどちらかと言えば感覚で生きている。直観力が優れた母に対し、私は分析せずにはいられない。
 私が抑うつ症状に陥ったとき、どんな変化が起こるのか母にはわからない。症状の感じ方やつらさは人それぞれだから、同じ病名で診断されている人だって100%共感できるわけじゃない。
 私は母がどんなトラウマを抱えているのかわからない。それを乗り越えるためにどんな葛藤をしたのか、いや、そもそもどれだけのつらさが今の母に結び付いているのかわからない。

 カウンセラー的な人が言ったのは、「互いにわかり合えると思っているならそれはおこがましいにも程がある」ということだ。

 断じてしまおう、無理である。

 残念ながら、どんなに長い時間を一緒に過ごした家族であっても、どんなに仲良しな母娘であっても、その人個人の本質的な部分は決して理解できない。

 誰にだってその人の内部、最深部に抱えている事情がある。

 誰にだってその人だけが持っていて、うまく言葉にできないけれど確かに存在している悩みがある。

 考え方の違い、感じ方の違いはどんなに擦り合わせたって生じるもので、そういう本質的・根本的な部分が異なっている限り、「わかり合える」と信じること自体が間違っているのだ。

 じゃあわかんねえし、と諦めろと言っているのではもちろんない。
 そうでなくて、絶対にわかり合えないと言うことを互いが「わかり合う」必要はある。必要な理解はそこにある。
 私も母に対して「どうしてわかってくれないんだ!」と身勝手なことを想っていたけれど、それも酷く図々しい話だ。

 目新しい話ではないかもしれないが、私たちは誰でも大概「自分と相手の感じ方はそもそも違う」=「相手は自分と同じように感じるとは限らない」という事実を忘れがちだ。
 先述の『「繊細さん」の本』にもそういう記述が出てくる。「繊細さん」自身がその自覚を持たないと、なんでみんなは気にならないんだ?こんなこと気にする私が弱いのか?と思ってしまうとかなんとか(うろ覚え)

 私たちはそもそもが違う個体だから、なんにでも同じ感じ方をするとは限らない。どんなに同じ体験、情報を共有してもそこは変えられない。

 であれば、できることは限られている。
 譲歩すること。
 ただ放っておくこと。
 時には何もしてあげられないこともある。大事な人が苦しんでいるのを見ているしかできないのはとてもつらいけれど、何も口出しせずに横にいることが一番の救いになる時もあると知っていなければならない。

ひとつひとつ対話を重ねて

 そんなことがあってから、私の実家暮らしは大変楽になった。
 はじめは自覚していなかったが、母の私への接し方が変わったのである。それに気付いて指摘すると、先述のような話をしてくれた。

 それから私たちは、夜な夜な紅茶とお菓子をお供に語り合った。
 幼少期から今までの出来事、その時私がどんな風に感じていたのか。
 何が嬉しくて、何がとても悲しかったのか。
 会社や学校で何がつらいのか。私が受け入れられないことは何なのか。

 もちろん、母の話も聞いた。
 母の抱える悩み。当時母がどんな風に傷付いて、どんな風にそれを慰めようとしてきたのか。
 子育て中の不安。それを子供たちには知られまいと、自分と同じような悲しい目に遭わせまいという想い。

 対話をすることは、私の抱えてきた重たいものをひとつひとつ解き解すと共に、私自身が母を「ただの個人」として認識することにもなった。
 母は私を産み育ててくれたけれど、嗚呼、そうだ。今の私の歳に私を身籠ってくれたのだ。母親になってもただのひとりの人間でしかないし、その大変な役目を悩みながらも乗り越えてきてくれたのだ。自分一人の面倒すら見れていない今の私には想像を絶するけれど、「悩んで乗り越えてきた」という道のり自体は同じ人間でしかない。

 わかり合えないということをわかり合うことで、私にとって私と母はただの個人と個人になった。母を「母親」という巨像で見れなくなったことは少し重たいけれど、たぶんこれも大人になるうえでの通過儀礼なんだろう。


おわりに

 私のように、自分が抱える問題について家族の理解が得られずしんどい想いをしている人は沢山いるに違いない。そもそもが私のように親子仲が良いとも限らず、もっともっと大変な想いをしている人の方が多いのだろう。
 または、母のように、家族によくわからない精神疾患を抱えている人がいて、その人にどう接したらいいかわからない人もいるだろう。そういう人は是非、メンタルクリニックやらカウンセラーやらに会ってみてほしい。
 他人の指摘でないとわからないこと、他人からの情報でないと理解まで至れないことというのは多いみたいだから。

 今回も最後まで偉そうに述べてしまったが、今回に関しては私もひとつの境地に至ったと自信を持っているのでドヤ顔を許してほしい。少なくとも、私たちはひとつの山を乗り越えた。母は知らんが私はとても楽になって落ち着いている。母もなんか最近は諦めて落ち着いてるっぽい。たぶん。

 ただ、「わかり合えないとわかり合えた」ことを通して感じるのは、私たちはこれで何らかの入口に立ったということだった。
 なんの入口に立ったのかはやっぱりわからない。人生の大先輩方ならわかるのだろうか。私もアラサーと呼ばれてそろそろ色んなことに焦りを感じるべき時期なのだけれど、何故かこの体験のおかげで人生長ぇなとどっしり構えられるようになったのは良い収穫だ。

 この記事を読んで、そんな都合よくいかねぇよと思ったあなた。

 わかり合えないもので、わかり合えなくていいんだと思ったら少し楽になったりしないだろうか。わかり合わなくちゃ、わかってもらわなくちゃと身を削って努力しなくてもいいのだと。
 互いに譲歩は必要だぞ。でも、そのためにあなた自身が深く傷つき続ける必要はないはずだと私は言いたい。なんちゃって。

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