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職場で子供の話をしない理由


職場では子供の話を自分からはしない。

子供がいない人にとって、シンプルに他人の子供の話しは興味ないと思うから。

だけど、私の職場はママさんも多いから子供の話題にもよくなる。

子供の話をしない理由は、我が子を隠したいわけではない。写真を見せてと言われたら見せるし、私も話題に乗っかる。

ただ、その場合はなるべく当たり障りのない、誰もがあるあると共感できるようなカテゴリを意識する。

同僚のお子さんはパウパトロールが好きなので、パウパト中心におしゃべりする事が多い。

グッドウェイ市長のユーモアが最高だとか、ズーマの出番がなさすぎるから、もう少し能力をつけて優遇して欲しいとか、ライバール市長の腕力と脚力が凄すぎるとか。わんわんブギーが流れると、料理中に私がノリノリになってしまうとか。 


あれ?やっぱり子供自身の話ではないね。 


私の場合、子供の具体的なことや悩みを伝えないように意識して、伝える場合はなるべく抽象的な表現にする。

例えば、息子が活発すぎて悩んでると話をしたとする。ただ、一方で歩かなくて悩んでるお母さんもいるかもしれないからだ。 


これを伝えると、え、何も話せなくなるじゃん?と思うだろう。


自分自身や夫のことは、よそはよそ、うちはうちと折り合いをつけれても、不思議と子供のことは敏感になってしまう。

それが母という生き物だからだ。我が子を愛してる故に。

だからこそ、子供の少し踏み込んだ話をする場合は、相手のバックボーンを少し想像できてからにしている。 


子供の話ってデリケート。フランクに子供の深い話をする間柄は素敵だし、素直に羨ましい。ただ、私の場合、姉だったりかなり限定的な人にしか話さない。つまり母はみんな悩んでいるから、なるべく刺激したくないのだ。


母はみんな悩んでいる。


例えば、子供が優秀でエリートの学校に通っているお母さん。誰もが羨むけど、彼女には彼女にしか分からない、努力と事情と悩みがあるだろう。


親同士、悩みで共感し合えたらすごく救われた気がする。ただ、同じカテゴリで悩でいると思っていても埋められない何かがある。生物としての個体差。人間がオンリーワンである以上、自分と全く同じ悩みを抱えてる人は当たり前にいないわけだ。

互いに共感し合えていても、経済状況、夫の育児参加率、実家の背景など、自分とは決定的に違う何か。その何かを感じた時、同時に虚しさも押し寄せる。そして、子は成長してまた悩みのカテゴリが変わる。このエンドレス。


つまり、子供自身の深い何かで繋がるわけではなく、表面的な誰もが共感できるカテゴリや互いの人柄で繋がりたいのだ。


 ふと思う。介護の悩みと育児の悩みは何か近いところがあるかもしれないと。


 介護の悩みも一概にひとくくりにはできない。介護される側が、どこに不調をきたしてるか

さらに言うと、性別、身長の高い人、低い人など体格によっても介護の難易度がぐっと変わってくる 。


そして、自宅介護とプロの人に委託しているかで、肉体的負担が天と地の差がある。

でもだからっといって、「親が老人ホームに入ってるから、楽でいいよね」は全く違う。


もしかしたら、老人ホームの費用は子供自身が働いて補填いるかもしれない。


いや、親が子供には老後に金銭的な苦労させたくないという思いから、ずっと共働きだったかもしれない。ただ、一方でその子供の幼少期は、ほんの少しの寂しさを抱えていたかもしれない。


このように私たちの悩みと苦労は千差万別である。 


でもだからと言って、私は子供の困りごとは話しません!弱みは見せません!!ではない。

相手のバックボーンを想像できたら、子供のちょっとした大変な事をユーモアを添えなが話したりする。これは単純に気の合うママ友が出来たら嬉しいから。

悩みから誰かと繋がって、素敵な出会いに恵まれることも事実なんだ。


〜の親の会や、ハッシュタグの〜で繋がりたいから、同じ悩みの素敵なママさんに出会って、励まされて、救われて。
有益な情報を教えてもらい、生活がいい方向に向かうこともまた事実。



私もこれからきっと沢山のママさんに出会って励まされるだろう。


つまり、他者に心の底からの共感は求めず、互いに配慮ができる関係だったらとてもいい関係を築ける気がする。



きっかけは子供だけど、互いに気の合う人に、これからの人生でたった1人でも出会えたら。


それは、とってもラッキーだよね。 そんなラッキーな未来をいつだって期待したい。


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