哲学者リチャード・ローティーでみるスプラトゥーン界隈【スプラトゥーン3】
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なお、誤字脱字衍字が合った場合は後に直す。また論の主旨に誤りがあった場合も訂正する。
※今回使用した本は朱喜哲『一〇〇分de名著 ローティ 偶然性・アイロニー・連帯』である。参照頁もこれのこと。
※いうまでもないがリンクはアマゾンアソシエイトに加入しているもののリンクである。
毎日の炎上とそこで気になるもの
道徳的な批判は小学生でもできる
スプラ界隈で度々起こる炎上、この要因は何処にあるのか?
稀々にみかける祝福すべき内容のイイネやRTの荒しを除くとスプラ界隈は炎上はたいてい悍ましい炎上がある。江戸っ子じゃあるまいしと思われるだろうが、この一週間ほどでも何度か騒がれている
細かい炎上を挙げればキリがない。
他人が道徳的に振る舞うことを期待しすぎであり、
私がよく使う「道徳的聖者」を求める人心は現代日本でも熾盛なようだ。
道徳は小学生の科目としてならう以上、これを元に人を批判するのはあたりまえなのかもしれない。小学生で一律にならってしまうせいなのか、みなが道徳という科目をふりかざして、他人を裁断している。
道徳に対して人々が求めすぎれば私欲に基づく行為は否定されることが多くなるはずだが、前回の記事でも書いたように「弱い武器」をもつことについてはこの道徳的な規範を著しく侵犯していても平気な人々がいるのだから人間とは実に矛盾をかかえた生き物である。
モノの見方の違い
ところで、炎上にもその種類や傾向の違いがある。
私は上に述べたような炎上よりも、XPの差からうまれる見方の違いに興味がある。
スプラトゥーンのプレイをTwitter上にあげたとき、
話題になるのは「その動きが正しいか」というものだ。
前々回に記したにしイカ氏に関する記事を思い出して欲しい。
あのときかれはXP3150以上の人が自分にモノをいう資格があると条件をつけた。
XPは一定の指標であり、実力がなければ誰でもXPが上がるようなものではない。
そしてそれゆえに、プレイについての評価も異なっていく。
これは私のスプラの動画やブログ等を昔からみている人ならば私は常にいっていることだが、「正しいこと」はXP毎に正解にも不正解にもなりうる。
何の武器が強いのか?
「動き」よりもわかりやすいのは使用されている「武器評価」である。
たとえば私のスプラ3のXPはだいたい真面目にやってXP1800~2000ぐらいである。
前回、ガチホコで最高XP2495に到達したが、これは最高値であり、普段は2000近辺をうろちょろしている。
さて、私の視聴者やフォロワーなどはXP2000中後半が多い。
彼等のみている景色は私と全くことなる。
という意見が流れてくる。
だが、これはXP2000で遊んでいる人間からすると、全く実感できない。
まず、ボトルガイザーという武器を殆どみたことがない、または強いボトルガイザー使いをみたことがない。
おそらくこのぐらいのXPだと連打をしながらエイムを合わせることが難しいために使いこなせないのだろう。
ロングブラスターも別段強くない。塗りが作れないと活躍することができないようなロングを巧みに操作できるような人物はXP2000近辺にはめったにいない。
逆に使いにくいように思われるジムワイパーは強い。かなり兇悪な武器である。私などは一回でもジムワイパーと目があうと瞬殺される。
生き残ってなどいられない。クイボとメインの組み合わせで自軍が崩壊させられて敗北することが多い。
と、このように私ぐらいのXPにとっての事実認識はXP後半の持ち主とは懸隔がある。
だが、この事実認識は主観性に依存しているため、どこまで当たっているのかはわからない。
もしかすると私のXPでも全く異なる印象の人々がいるかもしれない。
しかし、ゲームへの理解度や操作の上手い下手を穏当に考えれば、高度な技術が求められる武器ほど初心者にとって使いにくいことは多くの人々に了解されることではないだろうか。
我々が初心者に対して武器をすすめるときに、ジムワイパーやボトルガイザーをすすめるとは思えない。
若葉シューターやスプラシューターなどの塗りができ、移動しやすく、キルもとれるような武器を紹介するだろう。
それを踏まえれば、エイムやキャラコンなどがない人々、つまり、XPが低い人にとってはボトルやジムが少ない*と想像することは許されるはずである。
*ジムワイパーとボトルガイザーに関する私の考えは以下
ここまで長々と屡述してきたが、この想像はそこまで難しいものでもない。
人間を完全に同じ存在だと思い込み、環境の違い、能力の違いが理解できない人々
だが、スプラ界隈にいるとこの常識が通用しなくなることが多々ある。
それが先ほども問題にした「評価」なのだ。
XPの違いによって「正しい動き」には差があり、できることとできないことがある。
だとすれば、プレイヤーが炎上した際、その動きに関してみなが口々に何かをいうが、何かをいう前に「炎上している人と自分とのXPの差」を確認すべきではないだろうか?
誰でも自分のXPが下ぶれたとき、或いは上ぶれたときに大きな違いを感じるはずだ。
例えば、XPが下にいくほど
どうしてTwitter上の相手に対して自身のXPを反映させた動きを求めるのだろう。
土台、不可能に決まっているではないか。
ここには人の立場を考えること苦手な人々の心理がみられる。
だから私ズンダは以前から、動画でもブログでも
「XPが低い人間が上手い人間の動画をみても学べることはない」といっているのである。
そんな人が、メロン君やチョコペロの動画をみて何かを得られるとするならば、それはよほどに簡単なこと、たとえば「イカロールを駆使してるな」とか「エイムがきれいだな」とか「ルール関与をしているな」とか「キルをとっているな」とかである。
しかしこんな程度のことならば「スプラが上手くなるための五つの方法」というような動画を何十個とみたほうが効率がいい。
そして私より下手な人はもっと下手な人間をみたほうがいい。
私とは全く異なることをいっている可能性がある。
哲学者リチャード・ローティの考え
では今回の主題である哲学者、リチャード・ローティに登場してもらうことにしよう。
彼の哲学はTwitterにおける炎上を分析するときに役立ちやすい。
現代日本でローティを研究している朱喜哲は「哲学は人類の対話のためにある」といっておられる。
これはSNS時代の論争に対して、ローティを援用することで望ましい哲学の在り方を主張しているわけだ。
是非は不佞ズンダには分からないが、
この記事を読んだ人はスプラ界隈の炎上や言説などを観察してみて欲しい。
ローティがいっているようなことに何度も出くわすだろう。そこで彼の価値を認めるもよし、今まで自分がいた界隈を嗤うもよし、おのおのが自由に思想を用いて楽しむといい。
今回の今回の読書案内をする
本題に入る前にこの記事で使用した本やそれにまつわる本を紹介する。
では、ローティの思想を説明する。
読んでいく中でSNS上におけるスプラ界隈のTweetなどを想像しながら読むと、思想と現実とがピタッと嵌まるのでわかりやすいだろう。
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