進路はブレても軸はブレない
ああ、結局自分は人の心に寄り添える仕事をしたいんだな。
一昨日たまたま自覚する機会があった。
それで、例えば今の仕事で役職が上がって指導する立場になったら、指導は他の運転士の心を損なわない配慮をしながらしていきたいと思った。
ちなみに自分はバスの運転士。社歴は丸5年が経とうとしているだけのまだまだヒヨッコだが、うち1年半ほどを傷病休暇や育休などに費やしてしまっているので、実態はヒヨッコと呼ぶにも幼いかもしれない。指導する立場に就くなんて、どれだけ早くてもあと15年ほどはかかるだろう。
ともかくこうして「例えば」が言語化されたら、芋づる式に今や過去も再確認されていった。
運転士になった理由も、お客さんの1日を何でもない日常に出来るように支えつつ、あわよくば自分のバスに乗ることでちょこっとだけ気分よく過ごしてもらえるような仕事ができたらいいなと思ったから。
学生時代に高校教員を本気で目指していたのも、教えるのが楽しいなどの王道な動機は薄く、生徒の悩みに寄り添うには教員になるのが一番生徒の近くにいられて良いと思ったから。教員という選択肢を導く前は、高校生の時にスクールカウンセラーになりたかった時期もある。そうでなくても大学は心理学部に行くのが一番興味を持って勉強できると考えていた。結果的には文学部に進み、小説を通して人の心を読み解くのが、数字で心を読み解く心理学以上に楽しいと感じるようになったが。
どれだけ遡ってもやはり「心」への興味が強く、そういえば昔、歌詞を書いてみた時に歌詞の中に大体「心」ってことばが入っていたよなと恥ずかしい記憶が蘇る。歌詞を書こうとする行為にもまた、いつか自分のことばで誰かの心を救えればという淡い思いがあった。
なりたい自分。
将来も今の仕事を続けているのか、はたまた別の場所で働いているのかは分からない。別の場所に移るならきっと今とは違う仕事をしているだろう。
けれども、誰かの心に寄り添える仕事をしているのだと思う。していたい。
進路はブレても、軸はブレない。
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