『盤上の夜』ネタバレ読書呑記(6)~病魔とゲームデザイン
前回の呑記の続きです。
今回は『象を飛ばした王子』。
主人公のラーフラは、父親がゴータマ・シッダールタことお釈迦様であり、チャトランガの考案者……として書かれます。
チャトランガはチェスや将棋のルーツとなったアブストラクトゲームです。
チャトランガがいつ生まれたのかは、諸説ありまくりで定かではありません。
例えば、紀元前327年頃にアレクサンダー大王がインドへ東征した際にチャトランガを見た、などという感じです。
チャトランガは誰が作ったかも定かではなく、高僧が考案して王に献上した説もあります。
そのような事情でして、作者の宮内悠介さんはブッダの息子であるラーフラがチャトランガを生み出した、極端に言ってしまえば、ラーフラを世界最古のゲームデザイナーの1人として仕立て上げ、小説『象を飛ばした王子』を書きあげました。
ブッダの息子 ラーフラ
ラーフラの父親は、カピラヴァストゥ国王であったゴータマ・シッダールタ。
幼い頃に、家族を捨てて国も捨てて出家しています。
カピラヴァストゥは、周りの強国の脅威に晒されつつも、なんとか存続しています。
ラーフラは、チャトランガの元になるゲームを10歳のころからすでに考えていて、さらに歳月は過ぎて、16歳のときも、そのゲームのルールを考え続けました。
一方の父親であるブッダは、悟りに至っており説法巡り。
しかも、脅威である隣国コーサラ国の王も、マガダ国の王も、ブッダに帰依しました。
ラーフラは、自分を父の身代わりとして出家した、と思っているので、父に対して沸々と嫉妬します。
ラーフラの祖父ヤショダラは、息子シッダールタと孫ラーフラを比較しています。
【引用まとめ】
・2人とも頭がよい。
・2人とも、この世の向こうにある何かをみている。
・シッダールタのみているものは光。
・ラーフラのみているものは闇。
・ラーフラは、シッダールタと比べると、何かが欠けている。
・ラーフラ自身うすうす気付いているが、欠けているのは「王の相」。
病のゲームデザイン
涅槃経では「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という言葉がでてきます。
草木は植物で、国土は生命がすむ場所を指します。
これらは無情のものですが、有情のもの(人間)と同じように成仏できる(仏に至ることができる)という意味です。
で、ラーフラは病気をひきおこす病魔に目を向けて、ある意味「病魔成仏」的に
【引用】
「病魔もまた、生きようとしているのではないか?……」
と考えます。
小説では、病魔と細菌とがないまぜになっている印象もありますが、それはそれで面白いと思います。
そして、ラーフラは、
【引用】
病を作るように、遊戯の規則を設定するのだ。
と思い至り、考えをまとめます。
チャトランガとなるゲームをつくるための病のゲームデザインの誕生です。
ざっくりまとめると、3つ。
(1)ルールは、できるだけ簡単でなければならない。
(2)ルールは、時とともに変遷しなければならない。
(3)ゲームは、奥が深くなくてはならない。
それぞれが、どのように病(病魔)から思いついたのか引用すると、
【(1)の引用】
熱病は大気を払い、容易に人に感染する。同じように、人から人に伝わるには、決めごとは簡単でなければならない。
ラーフラは、将棋のルールのような「とった駒を使えるルール」を考えていたようですが、この病のゲームデザインに則って、外しました。
【(2)の引用】
ただ一つの規則は必要ない。その時代、その文化に応じて、形が変わっていくのがいい。そうでなければ、千年というときは超えられない。それはやがて、自分が考えた形とはまったく違ったものになるだろう。だが、それでいい。
ラーフラがルールから外した「とった駒を使えるルール」も、いつかどこかで取り入れられることも、容認しています。
【(3)の引用】
病は長い時間をかけて病状を深め、人を死に至らしめる。そうでなくては、人と共生することはできない。だから、この遊戯もすぐに忘れられてはならない。簡単には極められず、むしろ人のなかで時が経つほどに熟成し、深まり、根を張っていくのが望ましい。
このデザイン観に至ったラーフラは、
【引用】
「新しい宇宙観で、世界を塗り替えるのだ!」
と吼えます。
生老病死とラーフラ
このあと、ラーフラは夢のなかで、「四門出遊」――父シッダールタと同じ境遇――に立たされます。
シッダールタは、東門の老人、南門の病人、西門の死人、北門の僧侶と出会い、生とつながる北門から出て出家した、という逸話です。
ラーフラは、
【引用】
「父が生者の王になるというなら、わたしは病者の王になりましょう!」
といって、南門から出遊する決意をする――ところで夢は覚めます。
見事に、父と背中合わせなのが印象的ですね。
結論。
ボードゲーマーは、全員病人です。
(もちろん、珍ぬも含めて)
ちなみに、小説終盤で、シッダールタは「生のゲームデザイン」を語っています。
その内容ですが……気になる方は、ぜひ本書をお読み下さい。
次回など。
今回書いた「病のゲームデザイン」を踏まえると、『千年の虚空』で書かれる「ゲームを殺すゲーム」という概念は、西門から出遊した「死のゲームデザイン」ともいえそうです。
そうなると東門「老いのゲームデザイン」はどうなるかなんて気になりますね。
ここらへんの話は、また機会を設けて呑記できれば、と思います。
次回も『象を飛ばした王子』です。
もしかすると番外編になるかも。
では。