私が人間不信に陥った『なぜ』、そしてぬいぐるみセラピー。
非定型精神病にて通院中のワタクシ。症状の中に人間不信に至る症状も他多々ありいまだにその後遺症が継続している。
今回は人間不信に至った『なぜ』と『今どうしているか』を書き留めておきたい。
元をただせば阪神大震災が起きた時にとある田舎に入退院を繰り返していた母親と底辺高校を不登校にしていた弟を残す形で単身赴任していたが、そこでの取引先から人間関係での冷遇を喰らい、2年続いたあまりうつ状態に陥ったのがそもそもの始まり。下宿生活をしていたが心因性反応の連続で週末になるとマイカーで実家に帰るようになっていた。田舎から戻ると同僚を信用できなくなり完全に自閉症へ急降下するようなメンタルになってしまった。
それが元でうつ病になったが、人間不信の行きつく先がとんでもないところになるのは知る由もなかった。正直なところ統合失調症にまで落ちてしまえばあきらめもついたが、症状が『陰性⇔陽性』『躁⇔鬱』『幻覚妄想』『ヒステリー』『小規模のてんかん発作のような震え』…何の症状が出てくるかわからないガラポン状態に陥り非定型精神病という着地点になってしまった。
馬のぬいぐるみを収集しあやすようになったのも非定型精神病が発端のところはあるものの根本は人間不信である。家族も信用できなくなり買い集めた馬ぬいに向かって、
『生身の人間より馬の方がいいよ。馬はいいよなお気楽で。』
と言ってあやすのが常態化している。ガチな話、2頭の馬を並べるとどんな馬でも仲良く見えてしまうところがある。その名馬に関しての史実は理解して接しているが、人間よりも幸せでフレンドリーな世界に思えてしまう。
実際、伴侶を持つのはあきらめているし、嫁子供を持ったところで間違いなくモラハラでも起こして一家離散になるのは確実だったと思えば独身継続で正解だったと思うし生身の人間での育児なんて到底無理。かつ、ペットでも無理ではあるのでぬいぐるみがちょうどいいのかもしれない。それだけ人間不信の傷は深く誰とも口を利かない一生になっても文句を言うつもりはない。それくらいだったら自分の好きなぬいぐるみをセラピーツールにした『ぬいぐるみセラピー』みたいなものが大半の精神疾患における治療としての心理療法の基礎になってほしいところはある。『心の傷は癒されてナンボ』となるのが理想像ではあるし、元の箱庭療法よりはとっつきやすいはずだと思うので、アニマルセラピーよりは敷居が低くなってしかるべきだと思っている。