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自由の象徴

タリーズコーヒージャパン(株)は、カフェにあるべきものを知っているようだ。

カフェや喫茶店の役割は何だろうか。勿論答はない。
利用の目的は様々で、特にチェーン店となれば、食事をしたり、PCを開いて仕事をしたり、放課後に友人とたむろしたり、休憩に立ち寄ったりと、同じ店にいるのに各テーブルの温度が異なっている。

私はそれを苦手に思うことが多いのだが、不思議とタリーズコーヒーではそのような客同士のずれを感じない。
意匠を凝らした意図を強調しない内装がいいのか、客の顔ぶれの影響か、それは分からないが、タリーズコーヒーのホームページを閲覧して納得した。

「TULLY'S ACTION」に含まれる福祉活動として、子どもと医療や障害者福祉のサポート活動を行っている。他にも環境と地域貢献に関する活動がある中で、私は福祉とカフェには哲学的な共通点があると考えて、一貫した価値を追求するタリーズコーヒーを素敵だと思ったのだ。

カフェを利用する目的は様々と述べたが、店の中を見渡してみれば、カフェにいる間は、皆ある種の自由を得ているように見える。何かをほどいて自由になることができている。
少なくともカフェに行くという自由がある。

そんな自由、同じ自由を誰もが知っていてほしいという思いによる福祉活動と解釈した。具体的な自由の姿を問わないカフェを持つ企業だからこそ繋げる自由があるのではないか。
カフェ=タリーズコーヒーではないが、福祉の価値とカフェの価値をよく知っているのがタリーズコーヒーなのかもしれない。

こじつけかもしれないが、私は病院内のタリーズコーヒーに助けられたことがある。そのとき、私は検査や診察を終えて動揺していた。
カフェで注文したのはとあるラテだ。
温かさと柔らかさ、甘さを徐々に感じながら何十分も座って頭を整理していると、興奮や冷えは遠ざかって、感謝と気怠さで満たされていった。
かけられた言葉を受け入れて、少し先のことを考えることができた。またここに来ようと思った。

マルティン・ハイデガーの形而上学の話ではないが、可動の自由が、一杯のラテが何かのきっかけや歯止めになることもある。

それをタリーズコーヒーは知っているのか?

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