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どこまでも余裕がない
10代の私に、貧困を冷静に理解することは難しかった。
私の家庭は、一時期、相対的貧困に該当する状況だったのだと思う。私が高校生の間は特にそう感じていた。
学校にいる間はあまり気にしないし、何かに苦労したという記憶はない。
でも、例えば夕食に主菜らしいものを食べられないこと。小さい頃以来外食や旅行に縁がないこと。天気が悪い日にお小遣いから交通費を出してJRに乗ること。
高校の忙しさとは別に趣味や娯楽に時間やお金を割ける友人に対して、心を動かさないこと。
うちは余裕がないのだなと理解していると、自然と欲が生まれない。
家では節約に繋がることはできるだけやっていた。母に必要なものが足りているかと聞かれると必ず「いらない」と言う。
私は吹奏楽部に所属していた。放課後や土日が忙しくて私生活の時間がほとんどなかったし、部費以外にお金を使わせてはいけないと考えていた。
振り返ると、当時は今よりも経済的な余裕がなかったのは事実だけど、何もかも切り詰める必要はなかったはずだと思う。
医療費を気にして不調を我慢すべきではなかった。
高校生の私は、自分のお金を持っていなくて、家庭の事情を明確に知らなかった。知らない分だけ不安が膨らんで、病院に行く余裕なんてないと思ってしまう。病院に行きたいと言えない。
部活が忙しくて、身体に辛いところがあっても、毎日学校に通っていれば余計なお金はかからない。
大学生になった私は、高校時代の皺寄せも含め必要なときに必要な医療機関を受診できるようになった。
アルバイトで得たお金は医療費としてどんどんなくなっていく。
でも、病に対処しないと心がどんどん薄くなっていくし、自分の健康のために人に会って、相談をして、お金を使うのは悪くない。
必要なお金というのは、経済的な余裕の程度とは別に考えなくてはならないと、医療費を通じて考えるようになった。順序の話かもしれない。
でも、狭い世界にいた10代の私はそうは考えられない。
経済的に誰かに依存する多くの10代が相対的貧困に直面したとき、その事実以上に各実態は膨らんでいるのではないだろうか。
私は、中高生のときからもっと家について知りたかった。