「死」が「救い」に見えてくる今日この頃
またやってしまった。
やっぱりもう生きていくのは難しいのかもしれない。
少なくとも他人からしたら死んだ方がありがたい存在になっているだろう。
私自身ももうこんな感情も負傷した痛みも感じたくない。
般若心経の域に達すれば楽になれるのだろうけど。私にはいささか難しいようだ。
死ねば感情も痛覚もなくなる。
今の私にとって、「死」は完全な「救い」の認識になってきた。
自殺は、未遂に終わった場合再挑戦できない体になるリスクがある。寝たきりで再挑戦もできず十何年も生きなけれならなくなるリスクがある。
自殺は、やり方を間違えれば死ぬまでに地獄のような苦痛を味わうことになる。
自殺はこんなにも恐ろしいリスクを伴う。
それを理解しているのにやろうやろうと思ってしまうのは、もう本当にダメなんだろう。
ああ、精神疾患で安楽死が出来ればどれほど良いか。
精神疾患も難病といえるんじゃないか。
これほどまでに死に救いを求める人間が、この世の中にはどれほどいる事だろう。戦争で半殺しに合うより死んだ方がマシだ。それと同じだろう。
頼むから一気に確実に殺してくれ。
できることなら、森の風の音が聞こえる穏やかな一室で、そよ風に揺れる葉を見ながら、眠るように死にたい。
そんな死に方、こんな私にできるわけないとはわかっているけど。