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揠苗助长ーー英才教育に殺された私の音楽の力
(1508字・この記事を読む所要時間:約4分 ※1分あたり400字で計算)
【揠苗助长】
ピンイン:yà miáo zhù zhǎng
意味:苗を無理矢理引っ張って伸ばし、成長させようとすること。
焦って誤ったやり方を行い、かえって悪い結果を招いてしまったこと。
『英才教育に殺された私の音楽の力』
私は音楽家の家系に生まれた。
歌手に作曲家、ピアニストにバイオリニスト……
そんな音楽のプロ達に囲まれて育った。
家族達はあちこちで公演をしたり、CDを出したり、音楽の教室を開いて生徒さんを教えたり。
小学校で使った音楽の教科書に家族が書いた曲がのっていたことでさえもあった。
自宅の本棚は楽譜で溢れかえり、休日は家でクラシック音楽をかけたりしていた。
そんな環境だから、私も必然と音楽の道を行くだろうと、家族達は私に期待を寄せた。
楽譜の読み方、書き方。
ピアノ、フルートのお稽古。
音感、リズム感トレーニング。
一日も休まずに、日々2-3時間の特訓時間を設けていた。
必死に取り組んでいた。
私も、家族も。
ーーただ、結果は惨憺たるものだった。
いくら練習しても伸びない。
数年遅れてピアノを始めた妹が腕を上げていき、更にバイオリンにでさえ手を伸ばす中、私の実力は一向に成長が見えなかった。
フルートも上手く吹けない。毎回毎回レッスンでひどく叱られていた。
歌も歌えない。きれいな声が出せない。
焦る日々。
そして当然、焦れば焦る程、余計音楽と向き合うのが怖くなっていった。
仲間外れになったようで。
自分だけが、才能が無いと言われているようで。
そんな苦しい日々が続き、ある日、私は楽器に手を触れただけでも泣きたくなる自分がいることに気付いた。
「もうこれ以上進めない」
ここが限界だと分かった。
その日を境に、私はピタリと音楽の勉強を止めた。
長いこと辛い思いをしてきた私を見てきたせいか、家族も誰一人何も言ってこなかった。
こうして私は、音楽家の家系の落ちこぼれになった。
ただ今思うと、決して自分に才能が無かったからこうなってしまった訳ではないのが分かる。
確かに、私の家族達は皆プロだ。
音楽のこととなるといつも真剣で、教育環境もばっちりだった。
皆生半可な気持ちでないからこそ、私にも完璧さと、人一倍の努力を要求した。
だが、それがかえってよくなかった。
音楽を「楽しむ」前に、早とちりでプロとしての姿勢や心構えを無理矢理詰め込んだのがいけなかったのだ。
(この教育の失敗を生かし、妹を教える際はなるべく楽しむよう工夫したので上手くいったと、後々母の口から知った。)
「好きこそものの上手なれ」という言葉がある。
どの分野でもそうだが、嫌いな気持ちや苦手意識を持ったまま取り組んだところで、伸びしろはたかが知れている。
そもそも続かない。
本当に好きなものに対し、人は没頭するものだ。
周りが「頑張っているね」と褒める中、当の本人はちっとも努力している自覚が無い、そういうものこそメキメキと実力が上がるのだ。
私の場合、それは語学だった。
もう音楽の分野では生かせないかもしれないけど、鍛えられた絶対音感で様々な外国の音をキャッチし、それを模倣して自分の言葉にしていく、この過程がとても楽しいと思えたのだ。
そして皮肉にも、周りに細やかに指導してくれる「大先輩」がいなかったのも間違いなく語学を好きになれた大きな要素であった。
失敗しつつも自分のペースで伸び伸びと学べる。
試行錯誤を繰り返しながら、納得いくまで取り掛かれたのが良かったのだ。
大人になり気持ちが落ち着いた今、私は少しでも音楽への苦手意識を克服出来ないかと、模索を始めている。
小さな楽器も買った。
ひょっとしたらいつかまた、この音楽家大家族に馴染める日が来るのではと、
過去の日々を懐かしく思いながら、一人静かにポロンポロンとつま弾いているのだ。
📚あの「楽しい」を、どうかもう一度
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