#38 どうせ、もう終わりにしたいとまで思った人生だ
(1517字・この記事を読む所要時間:約4分 ※1分あたり400字で計算)
20歳になった日、私は大学の寮で、この人生をそろそろ終わりにしたいと考えていた。
20年も生きていれば十分だ。
この世は何もかもが無意味でつまらなかった。
期待するに値する未来なんてなかった。
そんなことをぼんやり考えながら過ごしていたある日、自分の人生を変える大きな事件が起こった。
『3.11 東日本大震災』
ニュース画面を見て、昨日まで生きていたはずの、多くの人が一瞬で亡くなったことを知った。
半月近く続いただろうか。
毎日毎日泣いていた。
授業にも出席せず、宿題もせず、友達とも話したくなく。
ひたすら布団を被って、脱力しそうな程泣いた。
今まで世の中で散々悲惨な事件が起こってきたのにも関わらず、何故この一件がこれ程にも自分の心を打ったかは知らない。
でもあの日、確実に私の中で何かが起こった。
思いがかき乱され、また静かに再構築されたように。
それ程に、今までとは違う自分が生まれていた。
そしてある「夢」を決めた。
どうせ、もう終わりにしたいとまで思った人生だ。
そんな人生を、「夢」に全部賭けた。
私はこれから、これの為だけに生きると。
勉強なんてしたくなかった。
でもやりたいことの為に、必死に取り組んだ。
社会人になることにも仕事をすることにも興味がなかった。
でももっと立派な人間になる為に、様々なスキルを身に付けた。
周りの人間なんてどうでも良かった。
でも多くの人と触れなければと思い、閉ざした心を開いた。
辛いことがあっても、この経験が今後に生かせると思えば、むしろ喜んだ。
何があっても、「夢」を中心に動いた。
たくさんたくさんのことを抱えて生きるようになった。
押し潰されそうかと思うことも何度かあった。
でも不思議と楽しかった、毎日が輝いていた。
まだ何も叶えていなくても、生活が変わり始めて、私が変わり始めて、人生が変わり始めた。
ただ、それが3年、5年、10年……と続いていくうちに、私は現実の残酷さを知り、自分自身の無力さを知るようになった。
努力すればする程、失望した。やるせなさを感じた。
いくら押しても引いても、何も動かせない。そう思うようになった。
そして私は、「夢」を捨てた。
生きがいだったものを無くしても、それを追う過程で得たものがあったので、しばらくはそれで暮らしていた。
そこそこ楽しかった。こんな感じで生きてても、まあいいだろうとも思った。
そこで新しい目標でも作るかと、色々ことにチャレンジし始めた。
でも、ダメだった。
いくらあれやこれやとかき集めても、結局崩れ落ちていった。
心に「溜まらなかった」。
そこで分かった。
結局この世の中はやはり、私にとって面白くなかったのだと。
このままの状態で行くと、いつかきっと、私はまた自分を終わらせたくなるのだと。
「そこそこ楽しい」と感じれていたのは、「夢」が残してくれた「余命」だったのだと。
その「余命」が今、尽きようとしているのだと。
その瞬間、私はある種の懐かしさを覚えた。
叶えたいことに全力を注いできたあの心の熱さ。
目が覚めれば、今日という日をまた一歩進められるとワクワクしていたあの日々の朝。
何一つ無駄だと思わず、喜怒哀楽を全て栄養としてきたあの頃。
大声で泣いた。
わんわん泣いた。
恋しくて恋しくてたまらなかった。
あれが私の「生きる」ことであり、あの「夢」こそが我が生の終着点であった。
私はもう30代になった。
心の強さも、愛情の深さも、この世界に対する知見も……20歳の頃と比べたら随分成長したのではないか。
今度こそ、いけるのではないか。
そうだ。
どうせ、もう終わりにしたいとまで思った人生だ。
そんな人生を、私はこれに全部賭けたのだった。
2023年3月19日。
忘れかけていた気持ちを取り戻すべく、私は再び「夢」に向かい、手を差し出した。
📚「叶えるか、終わらせるか」という覚悟を持って
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