
【お米10キロ】3,000円に見る金銭感覚と幸福感
<おじさんDX Vol244>
哲学的な考え?である、山の爺が日本経済と幸福感について、少々触れていました😁
✅金銭感覚と幸福感
先日、家内にスーパーに米を買ってくるよう頼まれたのですが、そろそろ新米の時期でもあり、並ぶ商品もお買い得品から、なかなかの高額品まで各種揃っていました。
自分の普段食べている米の銘柄なんて気にもしていない...😁
✅さすがに...7,000円の米は高い気がするし...
✅並んでいる商品を見る限り、メインは3,000円~4,000円価格帯だな
✅トップゴンドラには、お買い得品がどっさり
✅価格差は、どうしてか。原産地、銘柄...
と、職業病のような分析を1人でしていたのです。
そんな話を山の爺にしたのです。
すると山の爺は、
✅金銭感覚が、現代の日本は狂っている。
というのです🙄
物質的に満たされている筈の日本で、社会の先行きが不透明なこともあって、幸福感が薄いとまで言います。
衣食住を充実させたい、安定させたい、という気持ちは誰しもあると思うのですが、その頼りになるのは「お金」です。
✅爺様:「その昔は年貢と言って、米が今で言うお金の代わりだった...。」
江戸時代❓🙄
いくらなんでも山の爺は、江戸時代生まれではないのですが...😁
サラリーマン時代の山の爺もこの地に移り住むまでは、その狂った感覚に気付けなかった様子なのです。
✅わしも、その昔はそうじゃった。
✅お米の価格
「生きるとは、食べる事」という山の爺曰く、
✅「米は10キロならば、1人で2か月くらいで食べきる。
✅「大体3,000円(税込3,300円)くらいからある。」
米農家でもない山の爺の方が、余程詳しい。
✅「米があればなんとかなる」と言うのです。
これは主食が、米でなければいけないと言う事ではなく、生きる為の食糧が、3,000円程で入手可能なことを意味しています。
✅爺様:「10キロで人が2か月生きられる食料が、3,000円じゃぞ❗」
日常的にスーパー等に行けば米は買えますし、インターネットでも買えますよね。これがどのように金銭感覚と幸福感に繋がるのか。
凡人の私には、さっぱり理解出来なかったのです😅
✅幸福感の違い
山の爺は、米10キロの幸福感と現金3,000円の幸福感は、違いがあると言います。
✅「手に入れたら、どちらが嬉しい❓」
私としては、どちらも嬉しいのですが...🙄
米が主食ならば米かな?しかし、家に米がある状況なら他でも使用できる現金かな?なんて思った私です。けど、現金3,000円で仮に2か月暮らしなさい...なんて言われたら「無理!」
のように思いました。
いずれにせよ同じ様な3,000円でも、違いがあります。
✅あたり前になると幸福感が薄い
山の爺いわく「モノ」というのは、
✅存在が当たり前になると幸福感が薄い。
✅貴重(不足)になると幸福感が高まる。
と言います。
たしかに私の仕事でも、商品やサービスが巷に溢れると手にしても幸福感が薄く、貴重になって来て手にすると幸福感は高まります。
10万円分のお米⇒1キロ3,000円とすると、消費税も入れると300キロになります。(税込3,300円x30袋=99,000円)
✅300キロの米を貰ったら、もうしばらくは必要ないじゃろ。
✅10キロの米⇒2か月分の食料⇒30x2=60ヶ月「5年分の食糧」
✅消費税9000円分=30キロの米=「半年分の食糧」を納めている。
こう考えると10万円分とは言え、かなりの有難さですね😅
✅幸福感に簡単に繋がらない
では、お金の場合はどうだろうと考えると、
✅お金の存在が当たり前になるのは、かなり困難。
✅不足になると絶望感が高まる。
✅モノと違ってお金は「あればあるだけ」欲しい。
✅生きていく為には「お金」が、必要不可欠な社会だから。
現代社会は、貨幣経済です。
貨幣経済を支える一因として、「お金さえあれば必要なモノが手に入る」「どうにかなる」という前提で成り立っています。
極端な話、お金を積んでも食料が入手出来なくなったら、人はお金よりも食料を欲すると思うのですが、人はお金を延々と欲し、お金で消耗していくのです。
✅大切さを知る
お金の大切さを知るには、前述のように「3,000円10キロの米で換算」すればよいと、山の爺は言います。
✅10万円で300キロ...。
✅1人暮らしなら、5年分はある...。
✅自分の給与で換算すると...🙄
金額は変わりませんが、お米にすると、ちょっとした幸福感が得られます😁
財布の中のたった3,000円が、今までよりも有難く感じる今日この頃です。
そんな、おじさんの話でした。
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