回顧 安倍外交
(全裸不動産 全裸幡随院)
7月8日の昼頃、奈良県の近鉄大和西大寺駅北口で参院選の応援演説中だった安倍晋三元内閣総理大臣が背後から銃器のようなもので撃たれ、数時間後、同県内の病院にて逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。
事件を報じるニュースが世界各国で速報され、逝去の報が流れるや、各国の首脳が哀悼の意を表するなど、その存在感の大きさが伺われます。凶弾に倒れたということも手伝っているのかもしれませんが、一昨年の夏に、首相を辞する旨を表明した時も、CNNやBBCでは、東京の総理官邸での記者会見のライブ中継が放映されたり、各国の首脳が慰労の言葉を発するなどしていたところを見ると、必ずしもセンセーショナルな面だけでこうした反響になっているわけではないことがわかります。
その政治的主張に対する賛否、自らに課せられた疑惑に対する説明責任を果たしたと言えるのか否か、その他諸々の点で安倍元首相のコアな支持層と、それとは逆に辛辣な批判をする批判者が両極端に分かれて罵り合戦する様が見られましたが、それはともかく、約7年8か月の歴代最長政権を維持した安倍元首相の国際社会における存在感は、“地球儀を俯瞰する外交”が決して掛声最近30年にわたる歴代首相の中でも際立っていたということだけははっきりと言えるのではないでしょうか。
この歴代最長政権については、それぞれの政治的立場によって評価が分かれるところで、特に内政面に関しては毀誉褒貶が激しいとは思いますが、外交面に関しては、個々の政策について支持するわけではないという人の中にも、少なくとも日本外交のプレゼンスを高めたと思っている人は多いように見受けられます。
ここでは、それぞれの政治的思想的立場が露骨に対立する内政面や憲法問題とは切り離して、専ら外交面について、安倍政権の功績を、あくまで外交問題に関するズブの素人の視点からであるという断り付きで見ていきたいと思います。そうすることで、これほどまでに世界的な反響があるのはなぜなのかということが見えてくると思われるからです。
端から結論めいたことから入りますが、第二次安倍政権の外交は、“地球儀を俯瞰する外交”と標榜していた通り、非常に積極的な外交を展開していました。常について回る“右派”や“タカ派”のイメージとは違って、日本の国益を最優先した合理的な行動に徹していたという見る向きがあるのも肯けます。安倍首相辞意表明の報に接した時、あるいは凶弾に倒れた報に接した時に見られた各国首脳たちの安倍元首相への賛辞と慰労と追悼の声明が、それを物語ってもいます。
第二次政権発足後、即座に、関係が悪化していた米中二大国との関係を改善の方向に動いたことが思い出されます。G7やG20などの国際舞台における日本の首相の存在感は、希薄どころか、ほとんど“蚊帳の外”の状態だったことが多いわけですが、安倍外交は、厳しめに見たとしても、国際舞台での日本のプレゼンスを高めるのに間違いなく寄与したことは公平に評価しないといけないでしょう。
日米関係の再構築については、もちろん通商面での課題は残っていますが、概ね良好な結果をもたらしました。対中政策についても、“タカ派”のイメージに反して、冷え込んでいた日中関係改善のために積極的に動いたことも注目されます。その中で、戦略的互恵関係の構築に努めつつも、同時に、“自由で開かれたインド太平洋戦略”を掲げて米国や豪州やインドを巻き込んだ価値観外交を打ち出すことによって、中国の覇権膨張の動きを牽制することにも余念がありませんでした。
現在の日本の国力からすれば、徒な対中強硬策を講じることなど不可能だし、さりとて親中一辺倒に陥るわけにもいかず、「友好関係」を維持しつつ、裏では「対中牽制」を米国に働きかけるという難しい外交にも取り組みました(当時、国家安全保障局長を務めていた谷内正太郎氏の寄与も大きいかと思われます)。
その一方で、台湾との良好な関係を維持・発展させたことも、目立たないことですが、忘れるべきではないでしょう。このように、対米・対中・対台関係の外交上の微妙な舵取りが求められる中、安倍外交は何とか上手く乗り切ってきました。
アラブ諸国やイランとの良好な関係を維持しつつ、同時にイスラエルとの関係をも強化した功績もあまり注目されていませんが、重要な功績ではないかと思われます。イスラエルとの関係強化は、単に経済面だけでなく、安全保障政策遂行においても多大なメリットがあり、とりわけ、情報セキュリティ分野に関するイスラエルの科学技術力は世界でも指折りであることを考えるならば、イスラエルは、日本の防衛体制や諜報活動の充実にとって今後欠くことのできないパートナーになりえます。従来の日本外交は、原油の安定供給という大目標のために、アラブ諸国やイランに偏りすぎのきらいがありましたが、情報科学や軍事技術の先進国イスラエルとの安全保障面での関係強化は、特に対中・対北防衛にとって重要性を増してくるでしょう。
一方で、イランとの関係が他国よりも良好な関係にとどめられているのも、安倍外交の功績ではないか。安倍外交では、ロウハニ大統領の訪日があり、更にはイラン訪問時に最高指導者ハーメネイ師との会見が実現するなど、主要先進国の首脳の中でも目立つ活躍をしました。もっとも、中東問題は日本の介入によって即座に解決できるような単純なものではないので、米国とイランとの仲介役を買って出たはいいが、予見できた通り、成功しませんでした。しかし、成功しなかったとはいえ、安倍首相が予め米国への根回しをしつつ、イランに対して積極的に働きかけを行ったことは評価されるべきではないでしょうか。米国とイランの緊張が高まった折に、米国からの有志連合参加の要請に関しても、米国との関係の維持を図るために有志連合とは別の形をとりつつ自衛隊を派遣し、同時にそれが対イラン敵対行動ではない旨をイラン政府に断りその理解を取りつけるなど、周到な根回しも怠らず、上手く乗りこなしました。
対露外交に関しては、プーチン大統領との個人的信頼関係を築くまでにはなったものの、長年の懸案だった領土問題の解決に至りませんでした。とはいえ、対露領土交渉はこれまでも上手く行った例などなく、これを以って安倍外交の失敗というのは酷でしょう。戦後日本の対露外交の出発点はあくまで昭和31(1956)年の日ソ共同宣言であり、これを基礎に領土交渉にあたるというのが日本政府の基本方針です。その方針に変わりないことの言質をロシア政府から何度も取りつけている安倍外交の努力を過小評価するべきではないでしょう。
中には、四島一括返還の主張を取り下げたことを糾弾する向きもありますが、戦後の日本はサンフランシスコ講和において全千島列島の放棄を宣言した上、対ソ関係において、平和条約締結後に歯舞諸島・色丹島の「二島」を引き渡すとする日ソ共同宣言を出発点に置く基本方針を採っています。橋本・エリティン会談から森・プーチン会談を経て進展した領土問題交渉は、一度小泉純一郎政権時に頓挫してしまい、旧民主党政権時においてもほとんど進展を見せなかったところ、再び対露外交の中心として位置づけ、これを何とか進展させようと本気になって取り組んだのは第二次安倍政権でした。ロシアとの平和条約締結と領土問題解決による日露友好関係の強化は、対中牽制のための一つの布石でもあり、第二次安倍政権の悲願の一つだっただけに、志半ばで倒れることになったのは痛恨の一事であったことでしょう。
対韓関係は安倍政権下で悪化したと一部のメディアは述べますが、事実に反しているのではないか。ほぼ全ての国々との比較的良好な関係を構築することに成功した安倍外交の中で、ほとんど唯一といっていいくらい、悪化した日韓関係の責任を安倍首相に帰する批判が、韓国や日本国内の一部メディアからなされていますが、相手の出方を無視して両国の関係悪化の責任を安倍外交だけに帰するのはフェアな見方とは言えません。
そもそも、第二次安倍政権の直前の野田佳彦政権下の日韓関係を振り返ってみれば、こうしたメディアの主張が事実に反しているのではないかと疑われます。実際、野田政権時には、当時の李明博大統領による、日本固有の領土である竹島への不法上陸がなされ、更には天皇陛下に対する侮辱発言があり、野田首相の親書が突き返されるということまでされ、日本国内における嫌韓感情に火がつく状況であったことを忘れるべきではないでしょう。
むしろ安倍外交は当初、冷え切った日韓関係を改善しようと努力してきました。“慰安婦問題”を蒸し返して、いわゆる“告げ口外交”を繰り返す朴槿恵政権を相手に、韓国からの「歴史問題」を口実にした批判に終止符を打つことと、日米韓の対北連携を崩したくないという意図があって、韓国側の主張を敢えて飲んでまで「慰安婦合意」にこぎつけました。この合意の是非はともかく、少なくとも安倍政権は日韓関係改善の意思があり、実際、そのように努めてきたことは言えるのではないでしょうか。
韓国における親北左派の文在寅政権の行動を見てもわかるように、日本から日韓関係を悪化させようと先に仕掛けたことはありません。航空自衛隊の哨戒機に対する火器管制レーダー照射事件や、2010年代の初めから俄かに騒ぎ始めた旭日旗に対する難癖、日韓請求権協定の無視、その他諸々の政策によって日韓関係が拗れることになりました。数年にわたる日本側からの問い合わせを無視し続けた末に生じた日本の輸出管理体制の見直しに伴うホワイト国除外についても、日本側に非がある批判してきました。こうした一連の出来事によって悪化してきた日韓関係の責任を安倍外交に求めるのは筋違いというものでしょう。
これまでも北朝鮮による拉致の被害者家族に寄り添いながら拉致被害者救出に取り組んできた安倍政権でしたが、残念ながら在任中に解決を見ることはありませんでした。北朝鮮が対外的挑発行動を繰り返し、核やミサイルの開発によって国際社会から孤立した状況下では拉致問題の解決のための交渉は難しい。しかも、既に拉致問題は解決済であると主張し、それどころか日本への攻撃をも示唆する北朝鮮に対して軍事オプションが採れない日本の選択の幅は自ずと狭くならざるを得ません。拉致問題解決を核・ミサイル開発の阻止とともに重大案件として取り組んできた努力は多としないわけにはいきません。
もちろん、個々それぞれに異なる見解もありうるでしょうし、支持・不支持が鋭く対立する、ある意味で個性が際立っていた政治家だけに、どのポジションに立つかによって評価も著しく変化することでしょうが、ただ、積極的な外交によって、少なくとも国際社会の中で一定の影響度を持つ政治家であったことは確かであろうし、そのことは、国際社会から寄せられる声が何よりも雄弁に物語っているものと思われます。
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