【映画所感】 笑いのカイブツ ※ネタバレ注意
お笑いに取り憑かれたカイブツ=ツチヤタカユキの狂気に満ちた半生
NHKで2006年から2016年にかけて放送されていた視聴者投稿型の大喜利番組『着信御礼!ケータイ大喜利』にて、最高位“レジェンド”の称号を手に入れたツチヤタカユキ。
「1日に1000個のボケを考える」を自らに課し、バイトそっちのけ、寝る間も惜しんで、高校時代からネタを絞り出すこと6年。見事、目標を達成してみせる。
その過酷な生活は、常人には到底理解し得ないもの。
今どき、純朴な高校球児でも敬遠するような、笑いの1000本ノック。
シゴキを繰り返すこと、弾を撃ちつづけることでしか到達できない高みがあるのだろうと想像するしかない。
現に、スクリーンから時折投げかけられる大喜利のお題と、それに対するツチヤの回答に唸らされる。才能の片鱗がそこかしこから攻めてくる。
だが、ああはなりたくないとも思わせる。
ツチヤタカユキのトリッキーで荒んだ日常が、目に痛いのも確かなのだ。
地元大阪で構成作家見習いの末端に席を置くことを許されたツチヤだったが、オカン以外とはほとんど口を聞いたことがないような変人であり奇人。
コミュニケーション能力に大いに難アリの性格が災いし、次第に周囲との軋轢が深まっていく。
笑いに関するスキルとセンスに絶大な自信を持っているだけに、ビジネスとお笑い、ひいてはプロとアマの違い、その世界で連綿と受け継がれてきた堅牢なまでのシステムに馴染めないまま悶々と過ごすことに。
自閉スペクトラム症(ASD)とも取れる態度や言動であっても、生き馬の目を抜く業界では、空気の読めないヤツ、おかしなヤツとしてバッサリ斬り捨てられ、誰もツチヤに寄り添おうとはしない。
むしろ足を引っ張ろうと躍起だ。
最終的には、同僚からの妬みや嫉みに絡め取られ、あらぬ疑いをかけられたことで、とうとう爆発してしまう。
自身の“笑い”を諦めきれないツチヤは、慣れない夜の世界でもがきながら、今度はハガキ職人として確固たる地位を固める。
そして、主戦場を東京に移すことになるのだが……。
人間関係不得意、社会不適合なのは、むしろ当たり前。非凡だからこそのクリエイターであり、アーティストなのだと簡単に突き放すことも可能だろう。
ただ、新人だからという理由で無茶な仕事を振られ、理不尽なまでに他人に成果を吸い取られる“下積み生活”とは、いったいなんの糧になるのだろう?
ツチヤが受けてきた仕打ちは、ただのパワハラにとどまらず、才能の搾取にほかならない。
監督は、本作で長編商業映画デビューとなる滝本憲吾。その経歴をおさらいすると、なるほど主人公・ツチヤタカユキに共鳴し、ある意味リンクしているとさえ思えてくる。
井筒和幸監督に師事し、その後、日本を代表するような監督たちの下で助監督を務めてきた実績は、本作で見事に結実。
「スクラップ・アンド・ビルド」を繰り返し、創作の現場の地獄を見てきたツチヤタカユキと滝本憲吾監督だからこそ到達できた理想郷。
ハガキ職人vs.助監督職人の異種格闘技は、邦画界最高のエンターテインメントを生み出した。
『笑いのカイブツ』は紛れもなく、クリエイター残酷物語の新たな金字塔を打ち立てたと断言できる。
初春から痺れに痺れた。