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【映画所感】 侍タイムスリッパー ※ネタバレ注意

“タイムトラベルもの”にハズレなし

誰もが認める傑作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)や『ターミネーター』(1985)のみならず、広義の意味での“タイムパラドックス”を巧みに扱った『オーロラの彼方へ』(2000)や『バタフライ・エフェクト』(2005)、『LOOPER/ルーパー』(2013)など、良作・秀作を挙げだしたらきりがない。

個人的には1981年の作品『ある日どこかで』を強烈に推したい。

70年の時を越えて恋愛を成就させる、劇作家の青年と新進気鋭の女優。とにかくジェーン・シーモアの美しさだけで、お茶碗何杯もいける。

タイムトラベル云々というより、ラブストーリーの最高到達点といっても過言ではない。

もちろん邦画にだって、優良コンテンツはたくさんある。

『戦国自衛隊』(1979)に『時をかける少女』(1983)。“角川メディアミックス戦略”の成果を差し引いたとしても、名作の誉れは高い。

近年ものでも『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』(2022)や『リバー、流れないでよ』(2023)、森見登美彦の原作をアニメ化した『四畳半タイムマシンブルース』(2022)など、深刻なループ現象の只中を、コメディ全振りで笑わせてくれる

コメディといえば、70年代を席巻したTVアニメ『タイムボカンシリーズ』を外すわけにはいかない。

感受性豊かな幼少期に触れた同シリーズによって、筆者は、のちのタイムトラベル作品への耐性、ひいてはSFコメディへの造詣が深まったともいえる。

前置きが少々長くなり申し訳ないが、本作『侍タイムスリッパー』は、まぎれもなくSFファンタジー・コメディであり、大真面目なチャンバラ映画だった。

限られた予算と時間、数々の制約の中で練られた作品は、インディーズというハンデをものともせずに上映館数を増やしつづけ、異例のロングランヒット。

東映京都撮影所全面協力による本格時代劇は、今まさに時空を超えてやってきたかのようで、日の本の国のアイデンティティに粛々と訴えかけてくる。

主人公・高坂新左衛門(山口馬木也)の一挙手一投足に、サムライの威厳や矜持が宿っていて、これほどキャスティングの奇跡を堪能できる映画も珍しい。

会津藩士の高坂が隠密のうちに命を狙う相手、長州藩士の風見恭一郎。二人は時の流れを凌駕するほどの剣の達人同士であり、永遠のライバル。

風見の晩年を演じた冨家ノリマサにしても、配役の妙を感じる。

適材適所の創作作業は、自主映画の範疇、枠組みを易々と飛び超えていく。

山口馬木也と冨家ノリマサ、 まったくの個人的見解では、東海テレビ制作の“昼ドラ”御用達俳優という勝手なイメージで括られていた。

それもそのはず、90年代から2000年代にかけて、ほぼニートに片足突っ込んだような不埒な生活をしていたから、真っ昼間から30分の愛憎劇を見つづけることができたのだ。

あらためて調べてみると、山口、冨家両名ともそれほど“昼ドラ”への出演は多くないのだが、その「男前豆腐」的な昭和レトロ顔面力によってやたら印象に残っていた。

ここへきての二人の共演は、もう手放しで喜ぶしかない。

そして黒澤明の代表作であり、大傑作の『椿三十郎』(1962)のラストにも通じる、本作の大立ち回りと居合斬り。

かつての“昼ドラ”ウォッチャーの魂は、時を経て悟りを開き、完全に成仏した。

NHKで2020年から放送されていたドラマ『いいね!光源氏くん』。源氏物語の世界から現代にタイムスリップしてくる光源氏(千葉雄大)と、雑貨メーカーに勤める沙織(伊藤沙莉)のドタバタ・ラブコメディ。

こちらも『侍タイムスリッパー』に負けず劣らずの、配役の最適解を提示。

時代のちがいによるカルチャーギャップが、思わず笑ってしまうほどの齟齬を生じさせる。

和歌教室の講師として職を得た光源氏、かたや時代劇の斬られ役に活路を見出した高坂新左衛門。

抹茶スイーツの味に感動し、即興で短歌を詠む光源氏、いちごのショートケーキの甘さにむせび泣く高坂新左衛門。

密かに想いを寄せる女性に、付かず離れずの立場を崩さない光源氏と高坂新左衛門。

平安時代と江戸末期、暮らしていた世界が、現代の生活とかけ離れていればいるほど、“笑いの揺らぎ”は大きく波打つのだろう。

タイムスリップによって歪められた時空は、人間の常識と非常識の垣根を曖昧にしていく

エンドロールにて、「5万回斬られた男」の異名を持ち、天下の斬られ役として人生を全うした福本清三氏の名前を確認したとき、時代劇イズムの伝承を鳩尾のあたりに感じたのは、自分だけではないはずだ。

やはり“タイムトラベルもの”にハズレはなかった!

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