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SNS ④Please look at my life


今やteenagerだけで無く、様々な世代の人々が何かしらのSNSをやっている時代になりました。

ですが、特にゲンダイジンと呼ばれる若者達は、何の為にSNSをやっているのでしょうか。
もはや彼ら彼女らにとっては
何の為に という概念自体が無いのかも知れないのです。


因みに私はSNSだと、このnoteとTwitterをやっています。

何の為かと言うと
世情や様々な情報をフラットな目で見るためというのが1番の目的で
SNSという、共有できて更にそれを残す事ができるメモ帳のような物として思考や記憶や記録をアウトプットする目的や
関連する事柄に悩んでいたり、自分がおかしいのかと不安に思っている人に対して、稚拙な文章ではありますが、その人1人を救えたり、考えたり、新しい選択肢を与えられるキッカケになるかもしれないという気持ちでSNSをやっています。

SNSというのはほとんどが無料で、気軽に出来て、手軽で、常に繋がっている安心感があり、遠く離れた友達とも簡単に連絡が取れ、楽しいイベントや機能もたくさんあり、
とても便利なツールだと私も思います。

文明が進化する中でこれほど人間のライフスタイルに変化や影響を与えるモノはこれまで無かったであろうと思う程、革新的かつ利便性の高いものだと私は認識しています。


そして更には、


・これまで見つからなかったドナーなどがとても
早く見つかるようになった

・遠方に住む祖父母と、簡単に顔を合わせられる      
様になった

・医者のカウンセリングなど手軽に受ける事がで
きる様になった

・同じ様な悩みを抱えている人同士の結束の場やコミュニティーができた



など数え切れぬ人の心や身体を救い、癒し、助けてきたことも、多く有ると思います。

しかし
便利さや手軽さというものと引き換えに
本来人として備わっているはずの、能力、手間を掛けてこその楽しさ、人間ならではのコミュニケーション、有り難み、感謝、などの取り戻すのが中々難しく、人としてとても大切な事を失ってしまっている様にも感じます。

そして最も深刻なのは

様々なことの主目的が置き換えられてしまっている事だと思います。

これは①What forの記事でも触れましたが
これが、私が感じているSNSの1番の弊害です。


例えば

遊んだから記念や思い出に写真を撮る
ではなく
写真を撮る為に遊ぶ


美味しくて、素敵な盛り付けの料理だったので
写真を撮る
ではなく
「インスタバエ」する物を食べる

美術館に行って目や心で絵を見て感動する
ではなく
見る前にまずは写真、とにかく写真を撮り、
こんなにおしゃれなものを見て、シェアしている私って本当にオシャレ!

服の似合う身体になりたいから痩せよう
ではなく
このままじゃバエナイから痩せないと
若しくは
頑張って加工して、少しでもよく見られないと

何かものを買うときですら
“気に入ったから”や“自分に似合うから”や“美しいから”、“素敵だから”
ではなく
バエルから、〇〇が着ていたから、インフルエンサーの〇〇が持っているから

〇〇が好きだから、これを趣味にしよう
ではなく
〇〇が本当は好きだけど、あまりバエナイから
××を趣味にしておこう

になっているのではないかという事です。


そしてそんなヒトは

SNSの為に生きているのでしょうか
シェアする為に生きているのでしょうか
誰かに見て、認めてもらわないと価値を見出す事が出来無いのでしょうか
自分の意思が無いのでしょうか
“ステキ”で“シアワセ”な人生を見せびらかさないと居てもたっても居られないのでしょうか


「外見より中身を磨きなさい」や「中身を見て判断しなさい」「中身は外見に影響する」

なんてよく言われますが、残念な事に

SNSというものは、
外見の外見に過ぎません。



そして画面越しに見ている
「ウツクシイ生活」や「オシャレなトモダチ」
「ユウガなランチ」、「バエテイル私」
「エモイ日常」 は虚像です。

「私のこの写真モレテルかな?」「どれがバエてるかな?」「どれを載せたらいいねがたくさんくるかな?」「どんな私が求められているかな?」「どの写真が1番羨ましがられるかな?」「どれを載せたらかわいい、かっこいいかな?」「どうしたらフォロワーが増えてくれるかな?」
と、とっても一生懸命考えて載せているのです。

もはや、広告と同等です。
広告は商品などを売る為にします。
「美味しい」や「オシャレ」「使いやすい」
と謳うのは当たり前です。

ところが人間は売り物ではありません。不特定多数の人が羨んだ所でなにも発生しませんし、
いいねやフォロワーの多さは人間としての人望や評価や能力とは一切比例しません。

少し大袈裟かもしれませんが
結婚相手や恋人、友人、自分の子供、ペット、自分の職業ですらも
“バエル”道具になってきてしまっている風潮がある事も否めません。

近い将来、
この人と居たらバエルから結婚しました、
アクセサリーと同じ感覚で犬飼い始めました、
〇〇君より××君の方がインスタバエするから
××君の方がスキ!


なんて事が起こるのも必至かと思っているくらいです。
いえ、もう既に起きているかもしれません。
それはとても悲しい実情だと私は思います。

SNSなどに縛られて
求められているワタシを演じて、
自分の事を少しでも良く見せる努力をして、
その為に手間隙を惜しまず、
一生懸命になっている事は苦しく無いですか。悲しくないですか。
本当に“時代”のせいですか?
“みんな”がやっているからですか?


もちろん自分も含めですが
スマートフォンが普及したのかさせられたのかはさておき、人類がスマートフォンを持つのは
少し時期尚早だったのかもしれないと私は思っています。


もう一度原点に立ち返って考えて欲しいのです。

あなたはあなたの為に生きています。

あなたの趣味やあなたが買うものは
あなたが自分自身を喜ばせる為にあります。


あなたの価値を決めるのは画面越しに見ている人ではなく、自分自身であり、そばにいる人です。

心配せずとも
あなたが自分の好きな事をして、好きな物を買って好きな物を着ているのが間違いなく1番かっこよくて、可愛くて、オシャレで、ステキに決まっています。


もっと、自分を愛でてください。自分の好きな物を愛でてください。素の自分を愛でてください。周りの全てを愛でてみてください。
必ず、フォロワーよりいいねよりコメントより価値があるはずです。


下を向いて小さな画面を見ているよりも
広い広い現実世界の
「今」この瞬間や「幸せ」に目を向けてみて下さい。


あなたを満たしてくれるのはボタン1つで得られる快楽では無く、様々なところに散りばめられた愛情や感情や言葉です。

自己啓発でもポエムでも無く、
今の社会の「目的の置き換わり」はハッキリ言って異常です。

もしこれを読んでいただいて、なにか心の変化や
思った事、感じたことがあれば
鎖で縛られた令和の価値観から解放され
現実世界の中で沢山の物を吸収して、満たされていただけたらとても嬉しく思います。

ご自愛下さい、というのは様々な意味が込められたとてもステキな言葉です

LOVE YOUR SELF

ご自愛ください


そして

あなたはあなたの為の人生を送ってください。



読んでいただきありがとうございました。



心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。
自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ
(ルカによる福音書 10章27節)



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