「何なんw」藤井風さん名曲考察#2:サティヤ、輪廻、照顧脚下…
はじめに:藤井風さんご自身からのメッセージ
藤井風さんの「なんなんw」は、一見軽快な楽曲ながら、深い哲学的テーマや人生の問いを感じさせる歌詞が特徴です。公式YouTubeで藤井風さんは、「ハイヤーセルフ(高次の自己)」とは何かを語っています。それは人生において正しい道へ導いてくれる存在であり、その本質はエゴや嫉妬を超えた純粋な愛そのものだといいます。
宗教哲学から読み解く歌詞に込められた真理
ヒンドゥー教や仏教といった宗教的哲学は、こうした内省や自己探求をテーマとする教えを多く含んでいます。特に、エゴを超えた愛や、輪廻転生、真理への気づきといった概念は、藤井風さんの楽曲のテーマと共通する部分が多いと感じます。
これらの視点を通じて「なんなんw」を解釈することで、歌詞の奥深さや新たな魅力をより深く理解できるのではないかと考えました。
ただし、ここでの解釈はあくまで一つの視点に過ぎません。藤井風さんの意図そのものではないかもしれません。
藤井風さんの歌詞は考察などしても、結局だどりつけないような、深い愛と慈悲に満ちています。
「何なんw」を多角的に楽しむきっかけとして、この考察が役立てば幸いです。
1. 真実と向き合う
この歌詞は、自分自身と向き合うべきか迷っている状態を描いているように感じます。「あんた」は、自分の内なる未熟な部分を指し示し、真実を直視することで受ける痛みを恐れているのではないでしょうか。真実を語る、あるいは受け入れることは時に傷つくものであり、人はその痛みから目を背けがちです。
しかし、ヒンドゥー教では、真実(サティヤ)は自己成長の鍵であり、仏教でも「正語(しょうご)」を通じて真理に触れることが重要とされています。この歌詞は、真実と向き合うことの怖さと、それを乗り越えるための内なる葛藤を象徴しているようです。ここには、自分の殻を破り、より良い自分へと成長するプロセスが暗示されているのではないでしょうか。
2. 見えない神
この部分は、ヒンドゥー教のブラフマン(宇宙の根本原理)を連想させます。ブラフマンはすべてのものに宿り、常に私たちと共にあるとされます。しかし、日常の中でその存在を忘れたり、気づけなかったりするのが人間です。
「近すぎて見えなくて」というフレーズは、「灯台下暗し」の状況を表しているように感じます。私たちは真理や神が実はいつも身近にあることを忘れがちです。この歌詞は、その存在を改めて意識させるメッセージを含んでいるのではないでしょうか。
3. 輪廻と堕落
ここでは、悪い選択肢に向かう人間の姿が描かれています。「肥溜めへとダイブ」というフレーズは、ヒンドゥー教や仏教で語られる「輪廻転生」の低次の状態、たとえば「地獄道」や「畜生道」を象徴しているようです。
「そっちに行ってはダメ」という内なる声は、良心や神の導きを表しているのではないでしょうか。それでも、人間はその声を無視し、勢いに任せて同じ過ちを繰り返す。この歌詞は、そんな人間の矛盾を静かに問いかけているように感じます。
4. 問いかけと後悔
この歌詞は、与えられた忠告や導きを無視したことへの後悔を描いているように感じます。「何で何も聞いてくれんかったん」というフレーズには、自分自身への問いかけが込められているようです。この「問いかけ」はハイヤーセルフからのメッセージなのかもしれません。人生の中で正しい道を示してくれる内なる声に気づかず、それを無視してしまう人間の矛盾を表現しているように思えます。
ヒンドゥー教や仏教でも、過ちから学び、気づきを得ることが重要とされています。この部分は、「なぜ私たちはその声に耳を傾けず、同じ過ちを繰り返してしまうのか」という普遍的な問いを投げかけているように感じます。
5. 決意と信仰
「花咲く町の角」という表現は、春の4月、新学期や新生活の始まりをイメージさせます。この時期には、神社やお寺に参拝し、願掛けや決意を胸に抱く人も多いのではないでしょうか。日本人が新しいスタートの節目に信仰を意識する様子を思い起こさせます。
しかし、この歌詞は「その誓いをなぜ忘れてしまうのか?」と問いかけているように感じます。ヒンドゥー教では、祈りや瞑想を日常生活に根付かせることが重要とされます。この歌詞も、特別な時だけではなく、日々の生活の中で信仰や決意を持続することの大切さを伝えているのではないでしょうか。
6. 真理の探求
この歌詞には、ヒンドゥー教の「梵我一如(ぼんがいちにょ)」の教えが反映されているように感じます。梵我一如とは、自己(アートマン)と宇宙の根本原理(ブラフマン)が本来一つであるという思想です。この歌詞は、「真理はすでに自分の中にあるが、それに気づけていないだけ」というメッセージを伝えているのではないでしょうか。
また、「大胆に攻める」「慎重に歩む」という言葉は、人間が真理に到達するための試行錯誤を描いているようにも感じます。仏教で言う「悟り」への道とも重なり、内面を見つめ直す重要性を示唆しているのではないでしょうか。
7. 後悔と繰り返し
この歌詞では、人間が過去に刻んだ後悔を一度は深く反省しながらも、日々の中でその感情が薄れていき、再び同じ過ちを繰り返してしまう様子が描かれています。
ヒンドゥー教では、悪いカルマ(行為)は解消されない限り、輪廻転生を通じて繰り返し影響を与えるとされています。この歌詞は、私たちが自己改善のための「真っさらな決意」を何度も抱きながら、結局はまた過去と同じ行動に戻ってしまう姿を描いているのではないでしょうか。
仏教の輪廻(りんね)にも通じるこのループは、人間の宿命的な弱さを示しているように感じます。
8. 足元の真理
「足元を照らして」というフレーズは、日常の中にある真理や答えを見つける大切さを象徴しているように感じます。ここで注目したいのは、禅の言葉である「照顧脚下(しょうこきゃっか)」です。「照顧脚下」とは、「自分の足元を照らして見つめよ」という意味で、真理や答えは遠くにあるのではなく、日常の行動や身近な場所にあることを教えています。
ヒンドゥー教においても、神(ブラフマン)は外部に探すものではなく、自分自身の内に宿っているとされます。この歌詞は、外の世界や誰かに頼るのではなく、自分の足元を見つめ直すことで道が開けるというメッセージを伝えているのではないでしょうか。
9. 自分と向き合う
ここでは、自分の内面と向き合い、内なる声に耳を傾けることの重要性が語られています。ヒンドゥー教では、瞑想(ディヤーナ)を通じて自己(アートマン)と宇宙(ブラフマン)の真理を知ることが目指されます。また仏教の内観(ヴィパッサナー)は、心を静め、自分自身と深く向き合うことで悟りに至る道を示します。
「優しい気持ちで」というフレーズには、自分や他者を責めるのではなく、慈悲の心を持って内面を見つめることの大切さが込められているように感じます。「裏切りのブルース」という表現は、自己や他者を裏切ることの痛みや苦しみを象徴しているのではないでしょうか。これは、過去の過ちや後悔を乗り越え、内なる真理を求める過程で向き合うべき課題を示しているようにも思えます。
10. なぜ私たちは同じ過ちを繰り返すのか?
この繰り返される「何なんw」というフレーズは「なぜ私たちは同じ過ちを繰り返すのか?」「なぜ感動や誓いを忘れてしまうのか?」といった普遍的な疑問が込められているように感じます。
ヒンドゥー教や仏教では、このような問いを通じて自己を見つめ直し真理に近づくことが重要とされます。
まとめ:自分自身と向き合い幸せに生きよう
「なんなんw」は、軽快なリズムの中にヒンドゥー教や仏教の哲学的なテーマを散りばめた楽曲なのではないでしょうか。歌詞を通じて、真理への気づき、輪廻転生、信仰の持続性、自分との向き合いといった普遍的なテーマが語られていると考察しました。
特に、日常の中で私たちが見落としがちな「足元の真理」や、自分の内面を見つめ直すことの大切さが強調されています。
「人間の愚かさを理解した上で、自分自身と向き合い、足元にある大切なものに気付き、幸せに生きよう」というメッセージを伝えたいのではないかと感じました。
「なんなんw」は、私たち自身の生き方を見つめ直し、より善い人生を選び取るための問いを優しく投げかけてくれる、特別な作品だと思います。
次回は、人生の四季や心の中に広がる「庭」を象徴的に描いた楽曲「ガーデン」を考察していきます。