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映画『ミツバチのささやき』 ビクトル・エリセ監督

映画『ミツバチのささやき』1973年・スペイン/ビクトル・エリセ 監督

1940年頃、スペイン中部のオユエロス村に移動巡回映写のトラックがやって来る。スクリーンに映し出された怪奇映画「フランケンシュタイン」を村人と食い入るように見つめる幼い少女アナ(アナ・トレント)と姉のイサベル(イサベル・テリェリア)。映画のフランケンシュタインに興味を持ったアナは姉から「フランケンシュタインは森の精霊で、村外れに隠れている」と聞かされる。そんな時、アナは荒涼とした草原にぽつんと佇む一軒の廃屋で傷を負ったひとりの兵士に出会う…ビクトル・エリセ監督の長編デビュー作である。

アナは劇中で、映画の上映を通じてフランケンシュタインという存在を目にする。
アナは役柄として“フランケンシュタイというものがこの世に存在していて、興味深さとともに恐怖や様々な感情が湧き起こっている“という芝居が本作には写されていて、我々観客はそれを目にしている…と思われる。だが、現実的な事実としては、役柄や芝居というものをある意味で免れた、何も知らない6歳の少女が、自身の現実として初めてフランケンシュタイという存在を目にする。という人生で一度しか訪れない瞬間が記録されているというのが、本来の事実と言える。

以下、監督のインタービューより。
子役を探すため、最初にマドリッドのキリスト教系の小学校に行った。
休み時間で子ども達が遊んでいた。たくさんいる子どもたちの中で、最初に気にかかったのがアナだった。
「フランケンシュタインって誰だか知ってる?」監督がアナに問う。
「うん。でもまだ紹介してもらってないの」アナは答えた。
“この返事で、アナの感性に対する疑念は何も無くなった“と監督は話している。
さらに、「アナは、フランケンシュタインが実在していると信じていたし、
その事が大切な要素でした」と付け加えている。

本作を語るというのみではなく、映画というものを語る上で、映画というものは事実をただただ記録しているものであるということ。それが内容としてフィクションであるかとか、ドキュメンタリーであるかということが、たとえ設定されたとしても、写し取られたものはすべて現実に起こっていることだということを、本作は強く知らしめている。

アナという存在がなければ本作は成立しない。
役柄上というのでなく、監督が表現したいもの、写し取りたいものという、たった一つの事柄があると仮定するならば、それは、当時のアナ・トレントに出会わなければ本作はこの世に生み出されなかったと言える。
とても抽象的なことしか書けないのだが、事実、そうなのだと思う。

本作はセリフも少ないし、音楽も少ない。静謐とも違う、混じりっけの一切ない静かで、わからずとも感じ得る、何らかな聖なるものに支配されているという印象は、何度観ても変わらない。
内容的なもの、何を表現している作品であるとか、そういった論争を排除してしまう力を持つのが本作なのだと言いたくなる。

大切なものを傷つけたくない。
本来の姿を何ひとつ歪めたくない。
そう心底思わせる本作は、執拗に語りたくなくしている。
心の底から好きで、わたしにとって、とてつもなく大いなる作品なのだけれど、何ひとつ届くことの出来ないものがある、と痛感させられるのが本作の魅力だとわたしは思う。

筆者:北島李の


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