へっぽこぴーりーまん書紀〜2社目編 〜番外 佐那河内さんとの思い出
※固有名詞はすべて仮名です。基本的に敬称は略です。
初めての女性営業マン
2社目に入った当初。関西の時代の話。
関西とはいえ、東京本社に何度か出張することがあった。
佐那河内(さなごうち)さんと出会ったのは、入社直後の社内会議での出張。会議後に設定された飲み会でのことだった。
佐那河内さんは入社2年目の女性。大阪出身。2社目で初の女性営業マンだった。東京本社に勤務していた。
留学などをしていた関係からか、社会人歴はボクより2年浅いが同い年だった。
ボクも大阪出身で学区まで同じだったのと、同い年だったのでボクは彼女に親近感を持った。同世代の社員との交流の中で、楽しく話したと記憶している。
その後の関わり
その後も展示会や、同じ得意先を担当したこともあり一定の交流はあった。
当時の2社目は育成体制が整っていないように見受けられた。特にボクが見る限り、会社には男尊女卑の昔の体質が残っていた。
どこか女性をイロモノ、腰掛け、メインでなくサブで考えるような。そんな気質があったと思う。
佐那河内さんは国立の外大卒の語学堪能で、語弊を恐れずに言うと優等生然とした知的な雰囲気を持っていた。
展示会で投げかけた言葉の夕立
展示会で東京に行くときは、立番のとき、佐那河内さんとよく話した。
家族関係や趣味など他愛もない話が多かった。
ボクが2社目の2年目だろうか。
「仕事にやりがいが持てない」といったようなことを、ふと佐那河内さんが言った。
それに対して、ボクが「3年経てば見えるものがあるから、踏ん張るべきだ。」など激励的な言葉を投げかけた。
「仕事を好きになれば見えてくるものがある。」
(ボクもできてないのだが…)
情熱的に見えるが、今思えば完全に自己啓発本の受け売りだ。
響くわけもなく彼女のリアクションは薄かった。
半オンス以下のコトバの軽さだったのだろう。
その後・・・
佐那河内さんは、その後担当する客先が倒産するなどの苦難に見舞われた。
入社後3年目で債権回収などの業務。保全業務。後処理…正直かなりしんどかったはずだ。
散々、営業で苦労したのち、あっさりと入社3年以内で退職してしまった。
その後、かねてからの夢であったヨーロッパ某国に留学。特技の語学を活かして楽しんでいるということを人伝に聞いた。
化粧した言葉
「3年経てば見えてくるものがある」
「仕事を好きになれば見え方が違ってくる」ボクはこのような受け売りの言葉を使っていた。
これらは、べったりと厚化粧した言葉だった。
佐那河内さんは、素直に「仕事にやりがいを持てない」と言った。
ボクもそう思っていたのに、そう言わなかった。
表面的には、生き様ぶった言葉で強がった。
どちらが強かったのだろう。どちらが自分の声により素直だったのだろう。
今、佐那河内さんとのやりとりを思い出すたびに、ボクは生き様ぶった言動で人を傷つけ、自分も傷つけていたのではないかと思うのだ。
確かに、自己啓発本などでは「前向きな言葉」を使うことがもてはやされる。
しかし、むやみに「前向きな言葉」を使っても前に進むとは限らないと思う。
雪道で車がはまり込んだときのように。
いったん強く後ろに踏み込んだほうが、前に抜け出せる。
そんなこともあるのではないかと思う。
あの時のボクは佐那河内さんの眼にどう映っていたのだろうか。
あの時のボクの言葉は、どのように聞こえていたのだろうか。
同期のサクラ
ここまで書いていて、同期のサクラというドラマをふと思い出した。
あらすじなどは、リンク内の番組ホームページに譲る。
主人公。大卒の新入社員北野サクラが、
「私には夢があります。」と冷めがちな同期社員に語り掛けるのが印象的なドラマ。視聴されていた方も多いかもしれない。
…「医療僻地の田舎の島と、対岸に橋を架ける」大きな夢を持つ主人公サクラ。
夢を語り、基本的に弱音を吐かない。
しかし、サクラの人生はその夢とは反対に動いていく。
当時のボクは端的に言えば、佐那河内さんや他の人に「仕事と夢を結びつけて生きよう!」的な絵空事を言っていたように思う。
実際自分の発想としても、「仕事と夢を結びつけるべきだ」という信仰が強かったと思う。それを信じたいあまりボクは人に押し付けていたのかも。そんな気がする。
よく日本では「夢を持て」と若い頃に言われる。「夢」を半ばムリヤリ設定させられ書かされる。
ボクにもムリヤリ度の大小はあれ、語っている夢はあった。
口に+(プラス)、口に出せば叶う。ポジティブ(プラス)の言葉を出せば叶う。
とか、セミナーで使い古されていそうなセリフを言って
…むしろ“夢”を積極的に口にしていた。
「上司になり多くの部下を幸せにする」「星野仙一のような上司になりチームを勝たせる」「ツイてる」など。
しかし、ボクはここまで書いてきたように。サクラと同じでどんどんその夢から離れる人生になっていた。やがて昇進から最も遠いポジションにと追いやられていった。基本的にポジティブな言葉しか吐かないのも、ドラマのサクラと重なる。
挙句の果てには、まるで憧れの星野仙一に怒られ、戦力外通告されるような部下になっていたのだから全く笑えない。
夢って人生に必須なのか?
1年前くらいにこんなことを考え始めた。
一番の発端は、ハッキリとした夢を持ってない妻の存在だった。
妻は夢を語ることもないし、自己啓発本も読まない。弱音も吐くし、愚痴もいう。
しかし、ある程度自分の思うような人生になっている気がする。
それに対して、ボクは夢を持っててうまくいってない。自己啓発本の影響で弱音も吐かず、マイナスな言葉も極力口にしない。肯定的な言葉を意識して吐きまくってきた。
それなのにうまくいかない。
果たして夢を明確にして、そこに向かおうとする一連のアプローチ自体正しかったのかな。自分に合っていたのだろうかと。きちんと検証すべきではないの?
ある日とてつもなく疑問が湧き上がってきたのだ。
「成功する人の多くは夢を明確に描き、語る」という論理関係、定説があったとしたら
逆
「夢を明確に描き、語る人の多くは成功する」論理関係、定説
は成立するのだろうか。
…更にいうともしかしたら、両方とも成立していないのではないか。
成功者は語るが、基本的に敗者は語らない。語らせてもらえない。
これらの定説の後ろに「夢を明確にして、語ったが人知れず失敗した」多くの事例が隠れているだけではないのか。
疑問だらけになった。
そして、これまでの人生のやり方をハッキリと否定したほうが良いのではないか。
とふとよぎったのだ。
へっぽこぴーりーまん書紀はこの疑問を抱いた日の延長線上にある。
社会人生活10年以上成功してないのは、やはりやり方が根本的に間違っているのだ。それを認めないと前に進めないと思ったのだ。
じつは、夢は蕾にも値しないのではないか。
恨む心、妬む心。それも真実。
ポジティブ思考はある意味嘘では。
ボクのポジティブ思考は、臆病者のお遊戯だったのかな…。
佐那河内さんとのやり取りから、色んな思いが去来、交錯するのだ。