Mizunoto-i

兵庫県に在住の会社員。日々感じたことを流れるままに綴っています。古武道とウルトラマラソンが趣味。体と心のケアに関心があり、自然体で楽しく毎日を過ごしています。2児の父。好きな季節は夏。

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マガジン

  • 自分史

  • ある密かな恋

    僕の小中学校のときの、ある密かな片思いを綴ってみました。 今まで誰にも語ってこなかったこと。

  • へっぽこぴーりーまんの 書紀~社会人の失敗体験記

    ぼくの きた みち つつみかくさない ありのまんま ナサケナサ ハズカシサモ トキハナッテ … これまでの社会人生活を失敗エピソードベースで書き綴っています。こんなアホなやつがいるんやなぁ。という感覚でお付き合いください。 イイネ、フォローくださると励みになります!

  • へっぽこぴーりーまん書紀【番外編】

    社会人失敗体験記 へっぽこぴーりーまん書紀の番外編 ふと思い出したエピソード、雑記などをまとめています。 本編もぜひごらんください。 https://note.com/zanettimo/m/m9ae68f0cf21e

  • 心動かされたこと

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へっぽこぴーりーまん書紀〜新卒入社編①

そして、出向になった。 新卒当時からボクは仕事ができない社員だった。 第一印象は良いらしい。 一見明るくて、受け答えがハキハキしていて、体育会系っぽくしゃきっと見える。低い声で冷静っぽくて。 一見頼れると思われる。 でも、実際はその反対で優柔不断で、変なところで頑固で融通が利かないところがあって。 典型的な、「あいつは一見できそうなのにアカンなぁ」と。マイナスギャップを感じさせてしまう。 新卒1社目は、食品メーカーだった。 第一印象で営業に配属された。これが運の尽きだったのか

    • 志望校、受験との向き合い方

      自分の娘が行きたいと言っている学校の学園祭を訪問した。   「行きたい」と言っているものの、小学校3年生。受験は6年後。 まだ、本当に意思として行きたいのか?ははかりきれないところがある。 中学校と小学校の甥っ子2人、義姉、義母も合流して大所帯に。 学園祭の出店、ゲームなどに興じがやがや楽しんでいた。 私はそれを後ろから静かに見守っていた。 楽しみ方としては有りである。 「イベントとして楽しむならそれでもいいけどな…」 と少し自分の回想をしながら。 私が受験

      • 四万十川ウルトラマラソン完走体験記⑩〜あとがきにかえて

        あとがきにかえて 景色も単調な、人もいない道のりを1人で100㎞走れるだろうか。 ルームランナーで100km走に1人で挑戦しようとする人はほぼ皆無だと思う。 だとして、景色は美しいが、人もいない道のりを1人で100㎞走れるだろうか。 四万十川のコースであったとしても、エイドの水分補給、食事が全て人の手ではなく、ロボットなどで自動的に補給されるとしたら。 最後まで走れるだろうか。力は湧き上がってくるだろうか。 いずれも難易度は遥かに上がるのではないだろうか。それこそよ

        • 四万十川ウルトラマラソン完走体験記⑨

          (⑧から→) 87㎞ポスト付近の川登地区。 集落が広がり、拍手と「おかえり」と声が飛び交う。 このレース後半の温かい雰囲氣。とても私は好きだ。 補給食を頂く。あたたかいコーヒーなども80㎞を超えたエイドから見られるようになる。 朝出発してから12時間近く体を動かしているのだ。 カフェインや、温かいものはありがたい。 コーラもカフェインに利尿作用があるため、最終盤まで摂らないと計画していたが 最終盤を前に解禁する。 少し手前の私設エイドでは、冷却スプレーを貸してもらうことが

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        へっぽこぴーりーまん書紀〜新卒入社編①

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          四万十川ウルトラマラソン完走体験記⑧

          (→⑦から) 念入りにケアをした後、13時10分ごろレストから出発。 あと38㎞余り。 日の出前から出発したが、すでに日は高くなり、日差しも強くなっている。 ここからは、体力の消耗も激しくなっていくだろう。 しばらく徒歩で足の様子を確認したのち、再び走り始める。 レスト地点からはしばらく景色も単調になっていく。 日差しを遮るものもない道のり。 暑さもあり、だれやすくはなってくる。 周りにも明らかに歩く人が増えてくるのが、このころからである。 ここから80㎞ポスト辺り

          四万十川ウルトラマラソン完走体験記⑧

          四万十川ウルトラマラソン完走体験記⑦

          (→⑥から) 50㎞を超えた。引き続き淡々と走っていく。 目先の目的地としては、54㎞付近にある半家沈下橋。 その先の峠を無事に超えたい。目先の少し走ればたどり着ける場所をイメージして走っていく。 ほぼ3㎞ごとにエイドが設置されているのも、マイルストーン、定期的なリズムとなり本当にありがたい。 しばらく走ると左手にJR予土線のコンクリート擁壁が見え、その横を沿うように走る。 2010年にはここから歩きと走りを繰り返しだした地点である。 これまでより通過時刻が早いからか

          四万十川ウルトラマラソン完走体験記⑦

          四万十川ウルトラマラソン完走体験記⑥

          (⑤より→) 闇の中一斉に足音が鳴る。 ゴールに向かって一斉にランナーが駆け出す。 100㎞の旅が始まった。 スタート直後。 暗がりの中を走る。 朝から声援を送ってくださっている地域の人々。 最初はランナーも元氣で手を振り返したり、余裕がある。 まだ集団になっており、ランナーの熱氣に囲まれ暑い。 私は1㎞あたり7分前半で走る計画を立てていた。 私は練習でも体が温まるまでは、7分後半など基本スロースターターだ。 私が考えていたのは、100㎞もの長丁場。 序盤の60㎞くらい

          四万十川ウルトラマラソン完走体験記⑥

          四万十川ウルトラマラソン完走体験記⑤

          (④から) レース前日の高知入り。 現地は雨が降っていた。 航空機の遅れがあり、ギリギリ18時前に前日エントリーを済ませ、現地のホテルにチェックイン。 夕食を済ませ、翌日の準備をした。 ピザ、寿司。地元のスーパーで購入し、たらふく食べた。 明日、100㎞走る分のエネルギーを蓄えねばならない。 ゼッケンを付け、中間地点に持っていくもの。補給食などの準備物を入念に確認。 徐々に緊張感が高まっていく。 風呂に入った後、21時半頃に就寝。 翌日午前2時に起床。 2024年10月

          四万十川ウルトラマラソン完走体験記⑤

          四万十川ウルトラマラソン完走体験記④

          (③から→) 2024年。私は四万十川ウルトラマラソン100㎞の部にエントリーをした。 5年前の忘れ物を取りに行くために。 5年が経ち40歳になった。日常生活色んなことがある。 一般的には加齢を感じる年齢だと言われる。しかし幸いなことに私はそれを感じない。 「40代の最初の年で100㎞を走り切れば、何か大きなものを得られるかもしれない。」 そんなことも思った。 これまでの失敗の原因は、端的に言えば全て練習不足だ。 「仕事で帰宅時間が遅くなり練習できない」「疲れて寝落ちして

          四万十川ウルトラマラソン完走体験記④

          四万十川ウルトラマラソン完走体験記③

          (②より→) 2019年。35歳 私は3回目の100㎞にエントリーした。 この年は、転職して1年目の年にあたり、仕事のペースもつかめなかった。 大阪と兵庫県西部の姫路の100㎞をほぼ毎日通勤で往復し、慣れない仕事と相まって体には疲労が溜まっていく。 帰宅も遅くなることが多く、氣持ちだけでエントリーはしたものの、コンスタントに練習を積むことはできなかった。 「エントリーしたけど、もう出るのやめようかな。」 それすら、ずいぶん前のタイミングから頭によぎった。 住んでいた姫路の

          四万十川ウルトラマラソン完走体験記③

          四万十川ウルトラマラソン完走体験記②

          (→①より) 2010年、Oさんという100㎞に挑む50代のランナーのご家族と知り合った。 Oさんも、ゴールテープを切っていた。 レース後、ご家族と一緒に食事をさせてもらったがやはり「完走」の満足感というものは格別に感じた。 自分よりも上の年齢の人が、100㎞を走り切る。 「次は俺も走り切りたい」 出会いに感謝しつつ、悔しさの中、決意した。 しかしそのリベンジの機会は中々訪れなかった。 当時の四万十川ウルトラマラソンは、抽選式でエントリーしても中々当たらないのだ。 2011

          四万十川ウルトラマラソン完走体験記②

          四万十川ウルトラマラソン完走体験記①

          2024年10月20日 私は四万十川ウルトラマラソン100㎞を制限時間内に完走することができた。 4度目の挑戦にして、やっとである。 2010年。26歳の時に初めて挑戦してから14年の時が経っていた。 マラソンや長距離を趣味とする人の、一つの傾向として「寡黙な人」が多いかもしれないと私は思う。 ウルトラマラソンという特殊な体験に挑んでいるはずなのに、走っている際に見たことや、感情を詳らかに語る人は少ないのではないか。 ウルトラマラソンの完走体験記をWEBで探しても、中々出て

          四万十川ウルトラマラソン完走体験記①

          自分史その2~少年時代

          ↑前編から まとめると、まともに人の話を理解できない、協調性もない。自己顕示欲はあるが向上心や戦略を持たない。周囲の関心がない。特技としてはない。 ないない尽くしのふみあきがよく曲がりなりにも、学生生活、社会生活を営めたものである。 書いていて悲しくなるが、これがふみあきの実像である。 ところどころでは楽しい思い出はあるが、それはたまたま自分の状態がよく、周囲に関心が向く状態だっただけだろう。 それなりに恋心を持ち、近所のマナ(仮名)に恋するが、こんな性分では恋の発

          自分史その2~少年時代

          自分史①~少年時代

          少年時代 勉強がうまくなりたい。遊びがうまくなりたい。走るのが速くなりたい。 ふみあきは、そんな欲がない子供だった。 一方でステージに立つことや、人前で発表することは妙に抵抗がなかった。 幼稚園のお遊戯会での司会、歌唱、発表。周囲が緊張して小声となり、日ごろと別人となってしまう中、ふみあきはそんなことを気にしなかった。 注目を浴びることが快感だったのだろう。 向上心はないが注目されたい欲はある。そんなアンバランスを抱えながら、ふみあきは成長していくことになる。 小学校に入っ

          自分史①~少年時代

          ある密かな恋⑧

          (↑前編 ある密かな恋⑦はこちら) マナは強気でボーイッシュなところがあった。 そこは好きなポイントの一つだったのだが、屈託のない笑顔や、ほどけた髪が好きだった。 特にいつもポニーテールやツインテールなどで、髪を束ねていたことが多かったから、髪を下ろしたマナの姿と出会えた時は、何か心が踊るというか、特別なものを見ることができた気分になった。 どういう流れだったのか詳しいことは忘れたが、マナと仲の良い、サユミが終わりの会で提案をして早朝に皆で集まってランニングをすることになっ

          ある密かな恋⑧

          ある密かな恋⑦

          (↑前編 ある密かな恋⑥はこちら↑) マナについて印象的な思い出の1つに、6年生のときのある日の給食があった。 そこからマナに対して僕は本氣で惚れたのかもしれない。 確か5月頃だったように思う。 僕とマナは同じ班になった。確か席も隣か前後だったと思う。 マナと間近に居た日々。不思議と記憶が薄い。 もしかすると刺激が強すぎたのかもしれない。 6年と書いたがもしかすると、5年のときだったのかもしれない。 プリントを渡し合うその瞬間すら、マナとの接点を感じて嬉しかったことは覚えて

          ある密かな恋⑦