ザイム夢我無罪は、ザイム真理教と一切関係ないし、ザイム真理教も実体のないこいつの妄想やないか!
先日2024年11月21日「ザイム真理教の大罪」と言う本を半分ほど読みましたが、名前をザイムにしたのは、私の名の悪用です。ザイム真理教が、何かと知れば、実体のない財務省の洗脳を批判した著者が代用した名前であり、私への嫌がらせとしか思えない。
わたしは、確かに、Xのアカウントを取り上げられる事をしたが、わたしの心配症による妄想だったには違いないが、国を思っての事であり、使命にかられ、平和ボケしたみんなの目を覚ます必要があると、信じて、火事場にかけつけたのであって運命の被害者は私であり、この世が選んだ事なので、私の苦しみを共に味わうはずであり、このまま行けば差ほど遠くない時点で、小泉氏を含めて、味わう事になるのでは、あろうと思われる。
それで、わたしは、痛みを喜びに変える技を手に入れた。それは、自分の痛みイコール苦しめたものへの苦しみの1億倍と言う、双方にとって心地よい、痛みに耐えられず、泣く子にはもっと注射をとしているのが、精神病院アンド、ユニセフの大罪だ。それは、2019年9月から起こった、意識の旅とリンクして、当時の記憶があいまいだが、コロナである567であり、4後から8まででつまり、死後から八色人の世界すなわち、阿頼耶識(あらやしき)にとうたつするまでの世界までの路のりであり、また、釈迦が預言した、56億7千万年後、みろくが下生して、地上天国を開くとした、567でもあり、みろくとは、3から6の45であり、死後である。つまり、生きたまま死後の世界が降臨するのがみろくであり、その世界がコロナの意味で567の、4後から8までの死後から、八色人の無限末広がりの世界までの路のりの名であり、子路名、固路名(ころな)であったのです。
つまり、コロナとは、神仏の子らの歩む路(みち)のりの名であり、固まりである、肉体の霊的成長の路のりの名であったのです。
ですから、我々は、既に死んでいるのであり、あれし、これしのするを意味する「し」と、しをせぬ「しぬ」の死を合わせてた死あわせへの路のりを模索しながら、延々続くであろう命の路を紡いで行く蚕=回顧の行かねば成らない宿命にあり、周りで死ぬ人があっても、それは、路が違えた為であり、八色人の世界である、本当の世界であるアラー屋敷の阿頼耶識(あらやしき)に到達するまでの路(みち)のりを、歩む過程のコロナ時代に突入している為、町街、村夢羅(まちまち、むらむら)で常識が食い違う齟齬(そご)が生じて、はじめて、自分たちが、死後の世である、パラレルワールドの世界で生きている事を理解するに至るのである。