今、日本中が、自我のプログラムによってザワついているらしい。 私の日常は変わらない。 台風もそれたらしく、首も重くないし、暑くもなく寒くもない、私とクロンにとって、実に過ごしやすい穏やかな一日であった。 引っ越してからの最大の念願だった井戸が完成して、2週間が経った。 この辺は30メートル掘るのが普通だそうで、30メートルの深さとなると手動ポンプは使えず、電動ポンプを設置して汲み上げる。 井戸掘りの事を「さく井」と書いてサクセイと読むのだけれど、私が住んでいるこの辺は「さ
今日、不在者投票に市役所へ行った。 今年の4月に都内から引っ越してきたので、新しい居住地の立候補者には投票できず、都内の立候補者に対しての投票となる。 いつも思うんだけど、投票用紙が普通郵便で送られてくるのはどうなの? 移転先の住所に送られた投票用紙には、転居先からの投票方法が書かれていて、不在者投票をする時は改めて不在者投票用紙を請求しなければならないとある。 私は早速、書かれてある通りに不在者投票用紙請求を書き、普通郵便で送られて来たのだから、普通郵便で送ってイイかな
伝えたいと思うほど伝わらず、 諦めた思いほど伝わるという事に、 やっと気付いたけど、今更、そんな芸当できそうにない。 ずっと、かっこいい大人になりたいと思っていたのに、 気付けばとっくに大人を通り越して、老人に近づいている。 今更でも何でも、死ぬ前に気付いたのだから やるっきゃない。 子供の頃から私は大人だった。 でも、社会人と呼ばれるようになって はてなマークを持て余しながら過ごすうちに どんどんくだらない大人になってしまった事に 退職する頃に気付いた。 なりすましな
怒涛の1ヶ月…と言いたいところだが、かなり順調に引っ越しの準備が進み いよいよ明日。 25年住んだ部屋を眺めてみる。 あんまりいい事なかったかな…いや、楽しい事もいっぱいあった、あった。 そう考えると、なかなか感慨深い。 ここんとこ、頻繁に色んな人が訪ねてくるのと、段ボールがどんどん増えて何か不安を感じながらも、アスレチックのような部屋の変化に、嬉々として高い所に登りったり隠れたりしているクロンであった。 うちにもらわれてくる時は、小さなケージの中にうずくまって電車に3
今、私がここにいるのは偶然としか思えない。 56年生きてきたけど、計画性も何もない生き方をしてきた。 ただただ、自分のしたい事をがむしゃらに突き進んでただけ。 若い時は貯金なんかしなかったし、老後の事なんて考えもしなかった。 たまたまついた仕事が競艇選手だっただけなのだ。 別に、なりたかったわけでもないし、そもそも試験に合格するわけないと思っていたから、選手になる為の訓練所の入所試験に合格してからは成り行きに任せるだけだった。 父はギャンブル好きで母はかなり苦労したらし
気がつけば、2021年が終わろうとしている。一年に一投稿ぐらいしないとね。 退職してから日本全国の中からを引っ越し先を探し続けてはや3年。もはや無理かと諦めかけていたところへ突然、私が求める転居先条件の8割を備える好物件がピロっと現れ、あれよあれよと話が進み、来年早々お引っ越しとあいなった。 仕事をしている間は、今のマンションは最高に便利だったし自慢でもあったが、入居当初から、マンション住人に挨拶をしない人が多く、引っ越したいとずっと思っていたのだ。 若い頃‥いや子供の
図書館で借りてから、かれこれ1ヶ月以上経って、やっと半分を超えた所ぐらいまで読みました。昨日、2回目の借り直しをしたので、次の予約が入らなければ、もう1ヶ月借りられます。 47、8ぐらいから老眼が始まって、55歳の今も、メガネ度数1.5まで行かないぐらいを保ってはいますが、50歳の時、仕事中の事故で頭を打ってから複視になったのを機に、めっきり本が読めなくなりました。 複視ってあまり知られていないと思いますが、物が重なって見えるんです。老眼とか近視とかと違って、眼鏡が作れな
烏賀陽さんの記事を購入するためにnote登録しましたが、プロフィールなのか記事なのかわからない文章に、初フォローしてくれる危篤な方がいらしたので、何かを書くという作業を、久しぶりにやってみようかなと思います。 いったい何を書いたら良いのやら、ごくごく普通の人生とは言い難いとは言え、どこから書いたものか、物を書くってむつかしいですね。 そうか、では私が15歳だった時の話。 高校受験をするべく進学塾に通っていた私は、中3の夏、突然塾をサボるのです。1ヶ月だったか2ヶ月だった
2020.10/10 初めまして、こんばんは。眠れず、初めて書くことにしました。 昨日から後頭部の左上のあたりがズキンズキン痛みます。 たぶん、台風の低気圧のせいだと思います。7年前、乳癌になってから睡眠導入剤なしでは眠れないのです。ものすごく眠いのに、布団に入ると眠れない。