プラマイゼロ
今、私がここにいるのは偶然としか思えない。
56年生きてきたけど、計画性も何もない生き方をしてきた。
ただただ、自分のしたい事をがむしゃらに突き進んでただけ。
若い時は貯金なんかしなかったし、老後の事なんて考えもしなかった。
たまたまついた仕事が競艇選手だっただけなのだ。
別に、なりたかったわけでもないし、そもそも試験に合格するわけないと思っていたから、選手になる為の訓練所の入所試験に合格してからは成り行きに任せるだけだった。
父はギャンブル好きで母はかなり苦労したらしく、そんな話を聞かされていた私は、無意識のうちにギャンブルを嫌悪していた。
なので、選手の試験を受けるのも気がひけるというか、ギャンブルに苦しめられた母が嫌な思いをするんじゃないだろうかと危惧し、母が嫌だと言ったら試験を受けるのはやめようと思っていた。
そもそも、ギャンブルを嫌悪していながら、なんで選手試験を受ける気になったのかと言えば、ただ単に受験料が千円と安かった事と、合格してからの養成所での1年間の訓練がタダだった事、何より受験資格の身長・体重・視力がピッタリ当てはまっていた事…それだけ。
18やそこらで自分のやりたい事なんてわからないし、とりあえず1年間タダ飯で生活しながら先のことを考えようかなと。
で、「これ受けようかと思うんだけど…」と、ファッション誌の隅に載っていた選手募集の広告を母に見せると、母はこう言った。
母「是非、受けなさい !」
私「でも、嫌じゃない?」
母「なけなしのお金で賭け事をする人間と、命を懸けてレースで闘う人間と
では、人間の種類が違うのよ…やってみなさい。」
母のその言葉は目から鱗だったなぁ。
まだ、競艇選手なんてヤクザな家業…ぐらいの認識だった時代なのに、そんな未知の世界に可愛い娘を飛び込ませる母って、本当に凄い人だと思う。
1年のタダ飯だったはずが、結局 32年間も選手を続けられた自分に驚いている。飽きっぽくて、何一つ続けられた事が無かった私が、32年も一つの職業を続けられた事は、私にとって、とても良い結果として残った。
選手として、特に成績を残したわけでもない。
32年の選手生活の中で、殉職した選手は7人だったか…木村厚子さんが女子選手で初めてレースで亡くなった時は本当に辛かった。身近な選手でも初めてだった。厚子さんには子供が二人いて、二人共まだ小学生だったと思う。
先日、12日にまた、後輩がレースで亡くなってしまった。
彼は数年前、やはりレース中の事故で脳挫傷になり、2年間の闘病を経て、選手に復帰したという過去があった。
私が選手を辞めてからの3年間に既に二人亡くなった。32年も選手をやっていると、知らない選手がいない。他にも、去年の8月のレース事故から、今も意識が無いまま入院している選手もいる。皆、私よりも若く、結婚もし、子供もいる。
美輪明宏が言っていた。人生プラスマイナス・ゼロだと。
本当に?
少なくとも私は、そう思いたいけど。