「魂の殺人」
図書館で借りてから、かれこれ1ヶ月以上経って、やっと半分を超えた所ぐらいまで読みました。昨日、2回目の借り直しをしたので、次の予約が入らなければ、もう1ヶ月借りられます。
47、8ぐらいから老眼が始まって、55歳の今も、メガネ度数1.5まで行かないぐらいを保ってはいますが、50歳の時、仕事中の事故で頭を打ってから複視になったのを機に、めっきり本が読めなくなりました。
複視ってあまり知られていないと思いますが、物が重なって見えるんです。老眼とか近視とかと違って、眼鏡が作れない…ま、作ろうと思えば作れますが、見え方がさほど変わらないから意味がないというか。
頭って大事なんだなーと痛感した事故でしたね。死んでも全然不思議じゃなかった。時速70kmで何かにぶつかる衝撃って、ぶつかった所に象1頭分…(だったかな?)の重さがかかるそうなので、私の後頭部目掛けて象が飛んできてぶつかった感じでしょうか。
後頭部に視神経が集中してるなんて事故で初めて知ったのですが、象がぶつかった事で右目の視神経が伸びちゃって、同時に右目の位置自体が、衝撃で微妙にちょい斜めズレたんですね。視神経って、物凄く細かく入り組んでるから、手術できないんだそうです。位置がズレた眼球は尚のこと、手術では治せないし、ズレた位置が自然に戻る事もありません。
複視になったのは右目だけなのですが、両目で物を見ると、世の中がグチャグチャに見えるんですよ。病院で意識が戻って目を開けた時、「えっ?何これ?どうした?」って感じでした。壁の時計も人の顔も、全部二つに見えるんですから。
複視って、片目ずつで見ると正常に見えるんです。私の場合、右目だけが複視なのですが、右目だけで物を見る分にはクリアに見えるんです。でも眼球の位置がズレてるから、実際の位置よりも、ちょい斜めズレた映像で見えているので、物を掴もうとしても掴めなかったり、食べ物を箸で口に運んでるつもりなのに、口に入らずに落としてしまったりということがありました。
ま、それから半年後にはだいぶ良くなって、1年後には普通に見えるようになったんですが、実際には、私の右目の位置はズレたまま、視神経も伸びたままなんです。なのに普通に見えるのは、脳が私を騙して、複視になった右目を、正常な左目の映像に合わせて同じように見せてくれているのだそうで…人間の脳って凄いなーと。
映像としては問題なく見えるようになったのですが、やはりそこは、脳が私を騙して、そう見せてくれているだけなので、実際には、物を見るという作業そのものが、大変な負担を視神経にかけているみたいなのです。
見えるようになった事で、治った!と思い込み、その後に、天と地が入れ替わるような眩暈を何度か経験してやっと、眩暈の原因が目だという事に気付きました。というわけで、本は一日に頑張って2、3ページ。それ以上読むと異様に疲れるか、頭が痛くなるか、ちょっとクラクラするか、眠くなるか飽きちゃうか。
これでも結構、本は良く読んでた方なんですよ。高校生の頃、彼氏と喫茶店で待ち合わせて、文庫本を読みながら1時間でも2時間でも待ってました。携帯のない、ゆったりしたイイ時代でしたね。
何で「魂の殺人」かって、noteの書き始めに本の感想を書いてみませんか?と書いてあったので、今読んでる本のタイトルを書いてみました。魂の殺人は、あー私も魂を殺されてきたんだなと思いましたが、私の場合は魂のみならず、癌になったり頭を打ったり、肉体も何だかんだで4回ぐらい死にかけていて、魂も合わせたら何回死んでるのかなとか、私は何で生きてるのかななんて、あれこれ考える年頃になったという事を書きたかったのかなあ。
明日はクリスマス・イヴですね…Merry Xmas ♪