【連続小説1】愛せども
気持ちばかり開いた引き戸から、薄明かりがこぼれている。
中の様子をしっかり見るには足りないが、店の雰囲気を察するには足りている。
空席があることを確認し、僕はのれんをくぐった。
わざとらしくならない程度に口角を上げ、軽く会釈をしながら人差し指を立てる。
「おひとりで」
恰幅が良く、日本酒の銘柄の前掛けがよく似合う店主が、のそのそと厨房から出てくる。
店内にカウンター席はなく、ひとりではあるがテーブル席を案内された。
手書きの文字が印刷された品書きから、人間味が感じられる。
どうやら、焼き鳥が名物のようだ。
「ハツとレバーをたれ、ももとせせりを塩で」
この台詞は言い慣れている。
隣には、20代前半くらいだろうか、細身で、キャップを含めに被り、襟が丸く開いた濃紺のニットセーターを着た先客がいる。
芋焼酎の酔いが回ってきて、気が緩んだとき、
「すいません、注文いいですか」
隣から急に声がし、私は驚いて手にしていた焼き鳥を皿の上にコロンと落とした。
「ごめんなさい。びっくりしましたよね」
声を聞いて初めて女性だと知った。
僕は、とんでもないと伝え、間が空くのも気まずかったので彼女に話しかけた。
彼女はするすると自分の話をしてくれた。
「秋田の出身で、母親がいなくて、父とおばあちゃんに育てられたんです。だから私、茶色い食べ物って好きなんですよ。お弁当も、カラフルじゃないほうが良い」
「これ、さっきスーパーで買ってきたお鍋。東京に来たばかりだから、外に出る度に少しずつ買い足しているの。今日はその帰り道で、和風で素敵なお店を見つけたから、思わず入っちゃった」
会話の節々に見せる笑顔、品があり色気を意識しているであろう笑い声、グラスを持つ手の美しさ、おしぼりで口を拭う仕草──
大した会話はしていないのに、小一時間ほど話したあと、私は彼女の虜になっていた。
何かを好きになるとき、突き詰めると、好きになった明確な理由はなく、自分が好きになったから。それだけが理由として残る。
芸術作品からそう感じる経験はあったが、女性に対してそのような感覚を抱くのは初めてだった。
そして、好きになった明確な理由がないということは、嫌いになって別れるのもむずかしい。すべてを受け入れようとしてしまうから。
これからずぶずぶと嵌まっていく離れられない関係性を、僕は継続的で安定した恋と勘違いしていた。