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人間関係:コミュニケーションは刺激

1 導入

今回は合同チームの共通テーマである「人間関係」を題材にしたnoteを書く。
人間関係の話をする場合、普通は人間関係の「悩み」を扱うのが一般的だと思うが良くも悪くも私は現在においてそのような悩みがない。人間関係の悩みは相当なストレスであるからなるべく問題化しないように心掛けてきており、「人と深く関わり過ぎないこと」や「コミュニティ多く持つこと」でこれを回避してきた。(正直これはこれでやや問題だとも感じるが、社会に出れば人間関係の問題なんて無数に湧いてくるであろうから今はこれで良いだろう。)
なので、本記事では人間関係そのものではなく、それを形成するためのコミュニケーションに重点を置いて考えてみたいと思う。


2 バイトの話:コミュニケーションの失敗


人間関係と呼ぶにはあまりにも小さいがお客さんとの間で起きたコミュニケーションエラーの話を紹介したい。

私は現在、個人経営の小さな定食屋でバイトしている。
ある時、ランチタイムに一人のおじいちゃんが定食を食べ終わった後「お茶」を注文した。
メニューも見ずにあっさり頼む様子を見て、「お茶を無料だと思ってそう」な節を感じたが(寒い今の時期は無料だがその時は有料)、確認して文句を言われるのも面倒だったので普通にお茶を提供した。
その後お会計の際、危惧していた通りお茶が有料であることにネチネチ文句を言われた。
私はこの時「面倒臭がらずちゃんと一言言っておくべきだった」と心底後悔した。

このことが発生した重要な原因は何だったのか。

枝葉を言えば、「食後のお茶を有料で提供していること」や「おじいちゃんがケチだったこと」もあるだろう。
しかし、原因を私側に限定して考えるのであれば、それは私が「人とのコミュニケーションによる摩擦を避けたため」と言える。
元々私は人と積極的にコミュニケーションを取ろうとしない人間なので、バイトで見ず知らずの人とコミュニケーションを取るとなればそれはより消極的なものになる。勿論、注文の受け答えなど接客サービスに関する時給分の仕事は十分に果たしていると自負しているが、そこから少しでも追加的にコミュニケーションを取らないといけない場面では躊躇しがちになる。
今自分で振り返ってみると「お茶有料ですが大丈夫ですか?」の一言くらい言えるやろと思うし、「言え」と命令されれば確実に言えるんだがその時は出てこなかった。これが数百円の出来事でおじいちゃんに少し文句を言われるくらいだから良かったのだが、もし社会に出て「ほんの僅かなコミュニケーションを避けた」がために桁違いの損失を生んだり信用を傷つけるようなことがあっては致命傷になる。

コミュニケーションというのは私のような人間にとっては「摩擦」であり、それは必ずしも心地良いものではない。しかし、これを無意識に避けていると、結果的に自分自身にとってさらに大きな負担や損失が返ってくる。おじいちゃんの件で学んだのは、「摩擦を避ける」という短期的な選択が、結果的には長期的に「さらに大きな摩擦を生む」可能性があるということだ。

そして最近の気づきなのだが、コミュニケーションが「摩擦」だと思い込んでいる点についても見直す必要があるかもしれない。たとえば、摩擦を恐れるよりも「相手に喜んでもらうために一歩踏み出す」という考え方にシフトすれば会話の内容や行動も変わる。人間関係の中での摩擦は、実は相手との関係を深めたり、自分の成長につながる「刺激」だと捉え直すことができれば、恐れる気持ちも少しは薄らぐだろう。

このように考えると、私の課題は単に「摩擦を避けない」ことだけではなく、それをどのように受け止め、乗り越え、自分の糧にしていくかという点にもあると思う。バイトでの経験はそのための貴重な教訓であり社会に出る前に気づけて良かったとポジティブに捉えたい。
これからは小さなコミュニケーションの「刺激」を恐れず良い人間関係を築きたい。

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