負の感情の伝え方
1月14日の読売新聞《人生案内》は、
“負の感情表現が苦手”
という20代女性の方からの投書でした。
読まれた方もいらっしゃるでしょうか。
ポジティブな感情は素直に言葉にできる。
でも、ネガティブな感情となると言葉にできなくなってしまう。
あ、私もそうかも
と、自分が相談者と似たタイプであることに
気付きました。
嬉しいことや楽しいことは、そんなに深く考えずに人に伝えることができます。
(ただ、私は小さなことですぐ喜ぶ性格なので
あまりにも些細な出来事だと話すのをためらうことも多々ありますが……)
でも、悲しみや不安は、
本当にこの感情を、相手に理解してもらえるのだろうか、
もしかしたら迷惑や負担を与えてしまうのではないか
といった気持ちが無意識に働いている気がします。
ちなみに、この投書の回答者は山田昌弘さん(大学教授)でした。
この後の回答で、“もし仕事に差し支えるようであれば、カウンセリングを受けたり自己主張のトレーニングを考えるのもよい“と勧めていました。
相談者の方に寄り添った、あたたかいお言葉でした。
今回は、自分の負の感情について向き合ってみようと思います。
果たして理解してもらえる文章が書けるかどうか、不安ですが、もし興味を持ってくださる方がいましたら。
長文になりますので、お時間がある時にどうぞ。
思い返せば学生時代も職場でも、向こうから悩みや相談を持ちかけられて同じ不安を抱えていることが分かってからでないと、自分の不安を口にすることができませんでした。
それまでに抱いていたネガティブな感情は
“自分が感じているだけかもしれない”
と思い込んでいるため、他人に伝えようという選択肢が浮かばないのです。
学生時代に、親友のひとりが、自身の引っ込み思案な性格や人との距離感に悩んでいることを打ち明けてくれました。
まさに私が毎日抱えていた不安そのものだったので、「私もだよ」と伝えると、友人はとても驚いていました。
「そうなの? そんな風に見えなかった」
と言われ、私が日々考えていることを話すと
「そうそう! 何で分かるの!?」
と友人はさらに驚いていました。そして、
心から安心したような笑顔も見せてくれました。
友人も、こんなにネガティブな考えを持ってしまうのは自分だけかもしれない、と後ろ向きなことばかり考えてしまっていたようです。
放課後の教室で、ふたりで笑い合いました。
同じクラスになってから数ヶ月が経っていましたが、初めて負の本音をさらけ出し、心の距離がぐっと縮まりました。
こうした経験がありながらも、私は自分から不安を打ち明けることが未だに苦手です。
“否定されるのが怖い”という気持ちが勝ってしまうのだと思います。
(家族にさえ、抱えていた不安や悲しみを伝えようとすると自然と涙まで出てしまい、
さらっと伝えるつもりが、返って、そんなに辛かったのか、と思われてしまいます。
自分ではそれが演出のように映ってしまうのが嫌で、かといって涙の止め方も分からず、最近は「泣くかもしれないけど気にしないで」
と先に伝えるようにしています。)
まして怒りの感情はもっと困難です。
怒りを露わにすれば嫌われてしまう
そんな恐怖があるのか、私は家族以外と喧嘩をしたことがこれまで一度もありません。
家族に怒りをぶつけることができるのは、おそらく家族という絆に、安心して甘えることができるからだと思います。
でも他人となると全く別で、自分の中で腑に落ちないことがあっても、“自分がおかしいのかもしれない”という考えに至り、それが「怒り」に変換されずに終わってしまいます。
後からまわりの人が文句や愚痴を漏らしているのを聞いて、さっきのは怒ってもよかったんだ、と気付くことが少なくありません。
では、抱いたはずのモヤモヤした感情は消えてしまうのかというとそうではなくて、
そんな日は気分が落ち込んで、やる気も削がれて、確実にダメージを受けています。
ただ人に話して発散するよりも、
相談者さんのように、ひとりの時間を作ることで昇華してきました。
「書く」ようになったのは、そういった時間を持ち始めた頃だと思います。
小学生までは「書く」といえば、物語を想像する空想ものばかりでしたが、
中学生になって思春期を迎えてからは、人には言えない気持ちや自分自身のことを紙に吐き出したり、携帯を持つようになってからは宛名のないメールがフォルダに溜まっていきました。
自分のことなのに、自分が何に傷ついたのか分かっていないことも多かったように思います。
これは、大人になった今も言えることです。
いつかnoteに綴るかもしれませんが、私は以前、慣れない仕事がきっかけで軽いうつ状態になった時期がありました。(診断されたわけではありませんが。)
その経験があったからこそ、他人への接し方や、不安や悲しみに対しての考え方が大きく変わりました。
自分の気持ちに疎い分、他人の悲しみや不安も理解しきれていないのではないか、という不安を抱くようにもなりました。
まわりの人から相談される度に、私で良いのだろうかと緊張してしまいます。
他人だから本当の意味では理解できないし、理解してもらえない。
そんな考えがいつからか深く根付いていて、知らず知らずのうちに孤独を育ててしまっていたようで。
そんな私にとって「話す」ことはハードルが高いですが、せめて真摯に「聴く」ことだけはできると思っています。
今回の投書の話に戻りますが、
回答にあるように、相談者さんは無理に自分をさらけ出すのではなく、相談者さんがすでに持っているやさしさでまわりの人を救ってあげられれば良いのではないでしょうか。
そうして話を聴くうちに
「私も、実はね……」
と、伝えられることもあるかもしれません。
負の感情を言葉にするのは難しいです。
この文章を書いている今でさえ、胸の奥に渦巻くものがあり、それを誰かに吐き出す予定はありません。
もし聞いてほしくなった時、誰かがそばにいてくれれば嬉しいですし、
大切な人が聞いてほしいと思った時、きちんとそばで聴いてあげたい。
そう思っています。
2023.01.16 朝方
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