心を拭く
窓の掃除をしました。
窓に貼っている断熱シートが古くなってきたので、暖かくなってきた今こそ替え時!と行動に移しました。
最初は一番広い部屋の窓だけ替えるつもりだったのですが
「そういえば、向こうの窓も......。」
と気になったシートを次々に剥がしていった結果、家のほとんどの窓を掃除することになってしまいました。
劣化したシートは性能が落ちているようで、剥がした部分も夜の間に発生した結露によってけっこう濡れていました。次は拭く作業に取りかかります。
雑巾で上から下へ、丁寧に。
年末に一度掃除しているので、さほど目立った汚れはありません。
水滴が無くなると、ぼやけていた向こうの景色がはっきりと見え、普段目隠しにもなっていたシートが消えた窓は、外の光をよく通して明るすぎるくらいでした。
あれ、こんな景色だったっけ。
いつもより広く感じる窓の前に立ち、そんなことを思いました。
外の景色は、いつもの見慣れた景色のはず。
それに貼っていたのは半透明のシートで、窓の半分の高さまでしか覆っていませんでした。
景色が全く見えないわけでなかったのですが、お隣の家の色、木々の緑、青空の色、すべてがとても鮮やかで、少し驚きました。
初めて眼鏡やコンタクトを付けたときのような感覚に近いかもしれません。
汚れていないように見えていた窓も、いつの間にかくすんで、ぼやけたり滲んだりしていたのかも。
シートを通した景色に見慣れてしまって、見づらいと思わなくなっていたのかもしれません。
これって心も同じかもしれない。
普段感じること、私の心を通して見たものたち。
ちゃんと本物の景色が見えているだろうか。
気付かないうちに、くすんだ心で見ていないだろうか。
窓も心も、濁らないように空気を入れ換えることばかりに気をとられていたけれど、
そのものを磨くということを意識していなかったように思います。
空気を入れ換えれば、その時は新鮮な気持ちでいられます。
でも、そもそもの心が積み重なった傷や汚れでくすんでいたら、本来の色を知らずに歪んで見えているものもあるかもしれません。
傷も汚れも、完全に取り払うことは出来ないかもしれない。
だけど、丁寧に拭いてあげることはできます。
例えば、このnote。
書いたあとに見直すと、客観的に自分の気持ちを知ることができ、新たな気付きも得られます。
あとは、友人とのおしゃべり。
言葉として吐き出すことで、話しながら「こんな風に思ってたんだ」と自分自身に驚くこともしばしば。
私にとっては、言葉にすることが、“心を拭く”こと。
心の細かい部分を見つめ、磨いてあげる作業だったのだと、気が付きました。
その後ホームセンターに買い物に行き、午後は新しい断熱シートを貼る作業に追われた忙しい一日でした。
新しいシートを貼った綺麗な窓から、新たな春の景色を楽しみたいと思います。
2023.02.28 朝
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