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冬の夜空のものがたり
サーチライトのように伸びた雲が、切り裂いた夜の一切れを私に差し出してくれた。
星粒粉のショートケーキ。3つの頂点には色鮮やかなベリーたち。そのうちのひとつはよく熟れた赤いベリーで、冬の王様も大のお気に入りらしい。
どこから食べようか迷って、3つの中で一番光るベリーからにした。
よく見るとベリーたちは透明な天の川のジュレに包まれていて、どこから眺めても光沢を帯びてまぶしい。とくにこの青白いベリーは、夜にゆらめく青い炎のようだ。
つややかな大粒の実は口の中ではじけ、瑞々しい果汁が広がった。
それよりも小粒な黄色いベリーはまろやかな酸味で、フルーティーな香りが鼻を抜けた。その隣には小さい珠の形をしたゼリーが添えられていて、まるでひと粒の涙のように儚げで美しい。
スプーンで掬うと潤んだまばらな星たちが、半透明のゼリーの中できらきらと輝いた。
最後は赤いベリー。ピンクの小鳥の形をあしらったクリームの上にのっていて、華やかな香りと凝縮された濃厚な甘みを感じる。小鳥のクリームはほんのり甘酸っぱい。
星雲のクリームは表面だけでなく中までたっぷり詰まっていて、グラデーションになったクリームの層は食べ進めると青や紫、赤へとさまざまに色と味を変えた。
きめ細やかな星粒粉のスポンジの間には大きさのそろった白いベリーが3つ均等に並べられていて、上にのった3つのベリーとはまた違う甘みと酸味のフレッシュな味わいは、このケーキを最後の一口まで飽きずに食べさせてくれる。
うさぎが紅茶を運んできた。
カップを受け取ると、自分の指先が思ったよりも冷えていることに気づいた。
あっという間に飲みほして、お腹の底まで温まる。ケーキとの相性もぴったりのひかえめで奥深い香りに「おいしい」と漏らすと、そばで控えていたうさぎが紅い目をぱちくりさせた。
不思議に思ってその顔を見つめると、「いえ、そのようなお言葉をいただけることが、ないもので・・・・・・」と言う。
どうやら、冬の王様の横暴ぶりは噂どおりらしい。
「本当においしいです。おかわりはありますか?」
「はい、もちろん・・・・・・!」
うさぎが持っていたティーポットを傾ける。ふたたび注がれた紅茶から白い湯気がただよう。
「実は、今夜の紅茶は、“おとめ座銀河団”の茶葉なんです」
「え、おとめ座って・・・・・・たしか春の星座の?」
「はい。 朝早くにおとめ座の方へ出かけまして、茶畑にお邪魔して特別に摘み取らせてもらったのです」
「こんな冬の早朝から・・・・・・! 行きの道はまだ暗くて、それにさぞ寒かったことでしょう」
「お客様に、どうしても、一足早い“春”を味わってもらいたかったものですから」
うさぎは少し照れくさそうに言った。こんな風に誰かに尽くすお仕事が本当に好きなのだろう。
「うっかり、茶葉を入れるカゴを持っていくのを忘れてしまって、困っておりましたら春の女神がこちらを貸してくださいました」
うさぎが後ろの棚から、帽子を取って見せてくれた。
女神が大切にしているという真珠の指輪と同じ色をしていて、うさぎが帽子を抱える両手の角度を変えるたび、白地に織り込まれた星屑が上品にかがやいた。つばの縁だけが漆黒の色をしているのも魅力的で、普通の帽子よりもつばの広いその形は茶葉を入れるのにたしかに良さそうだった。
「返すのはいつでもよい、と女神さまはおっしゃいましたが、今夜日にちが変わったら早速返しに行こうと思っています」
「春の女神さまは、聞いていたよりもずっとお優しい方なのね。
夜道には怪物が出るという噂もありますから、くれぐれもお気をつけて。それと、おいしい紅茶をいただけて幸せでした、と伝えてくださいね」
「はい!」
うさぎは鼻をひくひくさせて返事をした。それからさっと姿勢を正すと、丁寧にお辞儀をしてその場をはなれた。
私がショートケーキを食べ終え、残しておいた紅茶を飲みながらケーキの余韻を楽しんでいると、うさぎが戻ってきた。
ケーキのお皿を下げながら私のティーカップを覗きこみ、「あの」と口をひらく。
「よろしければ、その・・・・・・」
「あ、紅茶はもう十分ですよ」
「いえ、もしよろしければ、こちらのお茶会にもいらしてください!」
「え?」
うさぎが上着のポケットから小さな封筒を取り出した。封筒の中の折りたたまれた紙を広げると、『チョコレート・ティーパーティー2025 ご招待』と書かれている。
「あなたにぜひ味わっていただきたいチョコレートがあるのです。“プレアデスのチョコレート缶”はご存じですか?」
「もちろん!」
私が体を跳ねるようにして答えたので、うさぎは驚いてふたたび紅い目をぱちくりさせた。
毎年バレンタインの時期には“プレアデスのチョコレート缶”を楽しみにしている。深い青色をした丸い缶の蓋には透き通るような7つのビジューが施され、宝石箱のようにきらめいてまるで芸術品のよう。
蓋を開ければ、これもまた宝石のようなまばゆい7つのチョコレートが、まるでダイヤモンドを形づくるようにそれぞれの場所で静かに納められている。
「今夜召し上がった3つのベリーを使用したチョコレートの他、シャンパンやミルクを使ったものなどもございます。さらに今年は・・・・・・」
「“惑星”・・・・・・ですよね?」
「はい! おっしゃるとおりです」
うさぎが目を細める。
例年のラインナップ7つに、今年は2つの特別使用のチョコレートが加えられている。そのためあっという間に予約完売してしまい、手が届かない存在になってしまったのだ。
「それを、食べられるのですか?」
「はい。冬の王様があなたにぜひ参加していただきたい、と」
冬の王様も出席されるのだろうか。直々のご招待、というのは緊張するけれど、あのチョコレートを食べられるチャンスがあるなら喜んで参加したい。
「ちなみに紅茶は、“一角獣のローズティー”をお出ししたいと考えています」
あぁ、あの評判の・・・・・・!
それを聞いてしまったら、なおさら断る選択肢はない。私がうなずくと、うさぎは安心したように息をはいた。
「ありがとうございます。ただし、ティーパーティーは晴れた夜のみの開催となりますので、当日は天気にご注意ください」
「分かりました。バレンタインの夜が晴れることを祈っています」
うさぎは耳をぱたぱたとさせ、「わたくしもです」と言った。
もし冬の王様に会えたなら、「こんなに可愛らしく忠実なうさぎさんを、いじめるようなことをしないでください」とお願いしたい。
「それでは今夜はおやすみなさい、またの夜に」
「えぇ、おやすみなさい。またの夜に」
うさぎとお別れの挨拶をして、私は立ち上がった。
見上げた先には澄んだ冬の夜空。空気は冷たくて、でも心には小さな春の温もりが残っている。