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虎に翼 第72回 ちゃぶ台から見えてくる風景

独り、ちゃぶ台でごはん(副音声では「残り物を」と説明があったとのこと)を食べる花江ちゃん。威嚇するみたいに、たくわんをポリポリいわせる音。これって猪爪家でかつて、はるさんと直言さんがやってた。直言がどうにか妻の機嫌をとろうとしたけど取りつく島なしだった。

あのときも向田邦子オマージュ的な、家庭内での葛藤の表現と思った。特に「妻の方の【言ってしまったら最後、爆発しかない】地雷原が危うい」感じ。

以下は自分語り。
卓袱台の風景はドラマの「型」と言ってもいい。
個人的な話で恐縮だが、私の原風景(=幼い頃の記憶)では、暴力を振るったり苛立ちを言葉でぶつける代わりにピリピリと物に当たるかのように「掃除」をする父と、小食で母のご飯を食べないのによその子が食べてるお菓子は欲しがったという娘(私)を「親不孝」「あんたは悪いことをした」「あやまって、二度としないと約束しろ」と責めた母の思いつめた顔に置き換わってる。
卓袱台は記号であって、意味はない。

この場面を見たあとに自分でメモした

今回の、猪爪+佐田家の不穏は、はるさんが生きていれば……と思ってしまうのだけれど、そんなふうに母親ポジションの女性にいつまでも「家族」を背負わせてしまうのもいかがなものか。そこまで考え、間違いなく、まだその先がきっとある。行き止まりと諦めることも、立ち止まることでおしまい、としないこのドラマ脚本。
本当によくできている。

同時に、中の人(演じる人)がどこまで脚本家の世界観を共有しているのか、とか、より伝わる表現にするために演出家(監督)がどんなふうに磨きをかけているか、ということも考えずにいられない。

三者の力関係もしくはコラボレーションのスタイルまで含めて、あれこれ考えたくなる。そこがまた面白い。

第68回の「尊属殺規定」について、やはりちゃぶ台を囲んで寅子が弟や甥っ子たちにとてもいいことを言っていた。優未は寝てしまって、花江ちゃんは隣室で針仕事をしている。と書いてみて気づいた。これ、麻布の猪爪家で、独身時代の寅子や書生(優三さん)や子守りポジションの花江ちゃんが、立派なダイニングのメインテーブルではなく、ハレノヒになると隣室のちゃぶ台でコソっとごはんを食べていた日常の再現でもあるのか。

さて、針仕事をしながら黙って話を聞いている花江ちゃんに、すでに「不穏」を漂わせる演出でしたよね。個人的には、あれはなくてもよかったのではないか、と思う。

針仕事をしながら、時折まるで「ん?(はて?)」と引っかかりを感じるみたいな、私は納得しませんよ、という花江の「すんっ」。

寅子が「自分と同じ女である」ということへの、なのに寅子だけ家父長(大黒柱)ポジションに鎮座して、自分は女中さんポジション……という、ちっちゃな針のような違和感が花江ちゃんに刺さっていた。という演出の「見せ方」だった。でも、花江ちゃん自身は、実家にいた御手伝いさんのことを「女中という記号」とか、差別したりされたりする身分だというふうにはたぶん思っていない。そう育てられていないんだよ。

それだけじゃない。毒まんじゅうを作ったときに泣きだした二十歳の頃の花江。あの「賢く戦う寅子とその仲間」に対する羨望と共感という、彼女が辿ってきた人生の道筋までごっちゃにして混ぜてしまうのは、ドラマの作りとして……ありだとは思うけど、どうなのかなあ。

直道さんが生きていたとすれば、花江ちゃんの中にやはり根づいていたやもしれぬ「もやもや」「地雷」をどんなふうに受け止めてくれたんだろう、とも思う。

だから、このドラマの主人公は寅子であって、寅子ではなく、それよりもこの時代を生きたすべての人たち。とりわけ女子たち、って感じ。

脈絡なく書き連ねてしまいました。
毎回、たとえ走り書きであっても「きちんとメモを残しておかねば」「覚え書きを物語が進んだときにまた見直して、感慨はひとしお」と痛感している。虎に翼にかぎらず、これからの私の「ドラマ作品」の見方を変えてくれるだけのインパクトを与えてもらってます。

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