夏至の奈良と京都と琵琶湖の旅レポート 3日目~琵琶湖の旅
夏至の奈良と京都と琵琶湖を巡る旅に行って来ました。
⭐️3日目〜2024年6月21日
人生初滋賀でした(*^_^*)
6:00 起床。今日は朝早くからおでかけなので散歩はなし。
7:10 京都駅で待ち合わせ
クライアントさんが姉妹で同行してくださいました。
7:23 京都駅出発
8:27 近江今津駅着
駅からフェリー乗り場までは、徒歩5分くらいですが、道を間違えたくないので、駅員さんにどちらにあるのか聞きました。
「その道を左にまっすぐ行けばいいんだけど、竹生島行のフェリーは今日は全便欠航だよ」
「え? うそ!!」(咄嗟に出た叫び)
「嘘つくわけないって」
というやりとりがあったことを報告いたします。
札幌から来たんす。
夏至に竹生島に行くという夢を叶えるために、はるばるここまで来たんです。
たしかにこの後荒れるって天気予報で言っていたけど、小雨やん!
でもまあ、ここまで来てしまったのだから、とりあえずフェリー乗り場に行くことにします。琵琶湖を見たいし。
琵琶湖はこんな感じ!
動画じゃないので伝わらないかもしれませんが、結構荒れています(涙)
実はちょっとだけ、思うことがあったのです。
竹生島にはお寺と神社があるのですが、法律で分離させられるまでは、このふたつはもともとひとつの施設でした。
よって、島の入口と出口に「鳥居」が立っていたのです。
私実は喪中なんです(なんだこのカミングアウト)
そのため鳥居を潜るのは問題があるのです。
そのため島に着いたら鳥居をよけて(つまり鳥居の外側を通る)島に入ろうとか思っていたのですが。
でもそれって大丈夫なのか?とも思っていたのです。
なので、その不安な気持ちがこの現象を起こしたのかもしれないと思いました。
同行者のお二人も、わざわざ埼玉と千葉から京都旅行もかねていらしていたので、ほんと申し訳ないっす(ていうか、朝のうちに調べておけですよね)
その後、フェリー乗り場の方に、近郊の観光パンフレットをたくさん出していただき、リスケしました。
すると、ご参加いただいていた方のおひとりが
「滋賀県に、日本でここでしかないという筆を作る店があると聞いたんですけど、それって近いですか?」
と質問されていまして。
この攀桂堂さんが大河ドラマ「光る君へ」に紙巻き製法の筆先をやドラマで書くシーンで使用される筆の助言及び監修、筆先(紙巻き製法)を提供されているとありまして↓
ここから駅で2つだし、かな文字書いてみたかったし。調べるとすぐに列車があったので、急いで駅に戻りました。
9:07 近江今津駅出発
9:14 安曇川駅到着。人生初「あどがわ」
フェリー乗り場で「あどがわ」と耳で言葉だけ聞いていたので気づかなかったのですが、駅名(安曇川)の漢字を見て、これってもしかして、私が密かに追っている安曇氏と関係あるの?となりました。
帰って調べたらやっぱりそうでした~!!!!
蘇我氏や出雲と深い関りがある安曇氏!
秦氏のことが少し落ち着いたら(ただいま秦氏のことについて調べている)、長野に行って安曇氏を調べようと思っていたのです。
まさか、こんな展開になるとは(やっぱり急なリスケには何か意味があると思っていたのよ)
実は去年出雲に行きまして、美保神社や須佐神社で、なぜセオリツヒメやミホツツミヒメが祀らていないの?隠されたの?蚕ノ社と同じ感じ?
などと思っていたのです。
そしてそれを考えているうちに眠ってしまい夢を見ました。その夢の主人公は、おそらく諏訪神社のタケミナカタノカミかなと思っています。
↓その時の夢をチラっと書いています。
タケミナカタノカミは安曇氏の神様ではないかと言われているので、あまり関心がなかったタケミナカタノカミについても真剣に調べましょうと思った次第です。
私の知りたいことが、深いところで繋がっているこの夏至の滋賀ツアー。
安曇川でやたらに見かけたのは、こちらの中江藤樹さんの看板。
この旅ではじめて知ったのですが、説明書きによると陽明学を極めた方のようです。
そして、琵琶湖でフェリーが欠航したと知って1時間後には、かなりド派手に晴れています。
この日はずっと良い天気でした(でもフェリーは欠航)
駅の窓口で攀桂堂さんは10時開店と知りまして(この時は9時20分)。
9時から開いている道の駅藤樹の里あどがわに行くことにしました。
道の駅で物産を物色。
エビ豆やアユの甘露煮などを買い求め、開店10分前なので出ようとすると、入口付近の食堂から届いてくる匂いがもうね、おいしそうなの。
10:25 いい加減、良いお時間ですし、出発いたします(笑)
10:38 攀桂堂到着
中でお茶などを頂き、いろいろな筆で試し書きをしまして。それぞれお気に入りの筆を無事購入。
駅まで送ると申し出ていただき、恐縮するも、次の列車まであと1時間近くありまして。なので、地図を渡され、近所の観光にでかけました。
気になった陽明園に行きました。
中国ドラマがここで撮影できるレベルの立派な庭で、こんなお庭があるなんて、誰も知らないよ!と驚きました。
不思議な町、安曇川おそるべし
12:17 安曇川駅発
車窓から見るゆったりした琵琶湖(これならフェリー出せるよね?涙)
13:06 石山駅着
バス乗り場には、わかりやすい貼り紙があってバスを迷わず済みます。
13:17 バスに乗り込み、無事座れる。混んでいたのに、ありがとう。
13:26 バス停石山寺山門前に無事到着
バス停の前で人がたかっていたのでのぞくと、こんなポストが↓
石山寺の山門までの間にいくつか見どころがあります。朗澄律師大徳遊鬼境
石山寺の経典・聖教の収集・整備に尽力した学僧朗澄律師の偉業を偲ぶ庭園。朗澄律師は、自分の死後は鬼となって石山寺の経典と聖教を守ると誓い、律師が亡くなった後に弟子の前に金色の鬼の姿となって現れたと伝えられます。
近畿地方を代表する縄文時代早期の遺跡「石山貝塚」を記念する碑。
この貝塚一帯から住居跡とともに人骨や石器・骨角器・縄文土器が出土しています。
そして、門前町~!!
10時過ぎに安曇川でお茶漬けを食べたとはいえ、すでに13:30。
いいお時間です。お昼を食べてもいいはずです。
「近江牛」の文字を掲げているお店ここだけなので、即決。
13:33 湖舟(こしゅう)さんに入りました。
これが出てきた時点で14:14。すでに店に入って40分近くたっております(うむ!)
予定より30分おしですが、まあいいでしょう(苦笑)
14:40 おいしくいただき、いよいよ石山寺を見に行くよ~
あとで閉まっていては悲しいと、先にお土産屋さんに入ります。
「拾翠園」が、一年限定の紫式部や源氏物語をイメージして開発されたお土産ショップとなっており、寄りました~
この拾翠園の奥に金龍竜王社があるので、見落とさないでね!
結構なパワスポでした。
14:56 受付で、2024年 春季 石山寺と紫式部展のセット希望と伝えると
「この展示は15:45で入場締め切りだから、最初にここに行って」と。
地図で見ると、展示がある豊浄殿、山の頂上じゃん!!
てことで、一気に山を駆け上がります。
15:06 豊浄殿到着。駆け上がること10分。炎天下の中がんばりました。
15:26 じっくり見たので、お寺を巡りましょう。
一番上まで来たので、その奥にあるマニアックであまり人が見に来ないらしい、紫式部像に向かいました。
このお寺で琵琶湖(ていうか川)に映る満月を見て、源氏物語の明石と須磨を思いつき、書き始めたとされます。そんな式部のエネルギーと同調しました。嬉しい!
式部像から下がり、15:37 天智天皇の石切り場到着。
石山寺ができる前から、ここの特殊な白い石をわざわざ奈良(飛鳥)から切り出しに来ていたのかと思うとムネアツです。
地図で見たら、前日飛鳥を巡った時に川原寺の前を通っていた。
寄ればよかったと少し残念。
15:40 本堂に戻ってきました。
御朱印を頂き、本堂をお参りし、いよいよ式部さんのお部屋へ
15:55 紫式部の間
もともとは天皇や皇族、高僧など、身分の高い人々が使う部屋で、ここで式部が籠って執筆したとか。鎌倉時代には、紫式部の間として知られていたとあります。
でもやっぱり石山寺のシンボルはこれですかね。石山寺硅灰石↓
実はこれらは一枚岩で、その上に立つ寺なので、石山寺なのです。この珪灰石は、石灰岩に花崗岩が接触したことによる熱作用で変質したもの。通常は大理石となるものが、このように珪灰石となるのは珍しいのとされます。
このあたりのパワー、龍エネルギー強めでした。
16時過ぎに門前町のスイーツを食べて帰ろうと門の外に出ると、全部閉まっていました(号泣)
バス停も目の前で、ちゃんと座って帰ることができ、京都まで無事帰ることができました。
16:33 のバスに乗り石山駅に戻ります。
石山寺より列車で京都へ
17:13 京都駅到着
京都駅で解散し、駅の前にあったホテルに戻りまして。
とりあえずコーヒーを飲んでいっぷく。
コーヒーを飲みながらベッドに乗っかり座り込んでテレビをつけて、ふと横になって記憶が途切れる。
18時頃だったと記憶する。そして次に目を開けると21:30でした!
ということで、寝る用意して京都駅にご飯を食べに行くのも取りやめて、そのまま寝てしまいました(笑)
明日は京都の秦氏を巡る旅に行きます!
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