御法川裕三/Yuzo MINORIKAWA

フィレンツェ在住、音楽評論家/音楽ライター御法川裕三の限定マガジン。新作や未発表の音楽記事のみならず、発掘記事、イタリアにおける過去の日記や備忘録なども公開してゆきます。

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最近の記事

追悼 石田長生

 今月はまた日本出張の機会があったのだが、羽田に到着したその場で石田長生さんの訃報に接し、思わず倒れそうになった。石田さんはこの2月、食道がんが見つかり全てのスケジュールをキャンセル、闘病生活に入っていた。 「そして俺のことはご心配なく。命までは取られまへん」 「ゆっくり、負けない、前向き、治す」 などと、亡くなる直前までブログやTwitterでポジティヴに発信していたので、復帰の日を信じていたのだが、不意を突かれた悲報だった。  石田さんは1952年7月25日、大阪八

    • 追悼:ジョニー吉長

       ジョニー吉長(1949年3月21日 - 2012年6月4日)重症肺炎のため死去。享年63  かのバーナード・パーティをして「最高のグルーヴ・ドラマー」と言わしめたことは有名で、'68年のカーニバルス時代、当時のドラマーと仲違いをし、ヴォーカリストでありながらも止むなくドラムを叩き始めたというのもこれまた知られたエピソードである。  その当初から難なくプレイが出来たというのは当人が語っていたことではあるが、ドラマーとして手本にしたのが、そのバーナード・パーディであったという

      • TBSラジオ「アフター6ジャンクション:新概念提唱型投稿コーナー(シアター一期一会)」2020年1月8日放送分〜書き起こし

         こんにちは。今はイギリスの大学に通っているCozyと申します。いつも海外からラジオクラウドで拝聴しています。  ぼくの祖父は戦後すぐからディズニーのアニメーションやフレッド・アステアのミュージカルに触れていたという映画マニアで、父も、またぼくも、そうした祖父の影響から、立派な映画オタクになりました。けれども、晩年の祖父は足腰が弱り、映画や劇場に出かける回数も少なくなり、最新の3D映画を体験したことがないとのことでした。  そこで、ぼくと父は祖父を連れ出し、3人で「ゼロ・

        • 余談 : Blackmore's Night at Neu-Isenburg in 2013

           先月にBlackmore's Nightのギグに出かけたというのは本連載でお伝えした。会場のあるノイ=イーゼンブルグはつまるところフランクフルトであり、日本とイタリアを往復する乗り継ぎの途中、ストップオーバーを利用して出かけたのである。  ドイツのノイ=イーゼンブルグはフランクフルト空港から東に5kmという距離にあり、というのも先月に述べた。この距離をして最初は「歩けるかな」と思った。いや、普通は思わないのだが、歩けると確信したのは、過去にそうした経験があったからだ。

          弔辞〜トスカーナ日本人会会長=松浦真純さんへ

           松浦真純さんがお亡くなりなって暫しの時が経ちました。  彼女が毎日、街を忙しく歩き回っていたのは皆様もご存じのことかとは思います。ぼくも最近は街中で〈会長不在のフィレンツェ〉という現実に直面しています。改めて淋しく、嘆き悲しんだりするのですが、たまには夢に現れることもあり、ぼくの中での彼女は変わらずだったりします。  松浦さんはその昔からフィレンツェ村では有名な存在でした。それこそ毀誉褒貶な噂がありつつ、ぼくが真純さんのサポートに就いたのは彼女が日本人会の会長に就任してか

          弔辞〜トスカーナ日本人会会長=松浦真純さんへ

          ANA「翼の王国」旅育日記〜アウトテイク

           4歳の息子=彼を連れてフィレンツェに移り住んだのは'04年のことだった。妻の仕事の関係で移転することになったのだが、彼はイタリア語はおろか英語も全く喋れず、それでも、現地のインターナショナル・スクールに入学することになった。  その年齢はプレ・スクール=幼稚園で、初日から三日間泣き続けていた。引っ越しの手伝いに来てくれていた母、つまり、彼の祖母からは「友達の話を聞こう、理解しようと、キョロキョロしながら皆の顔を窺っていて。そんな姿を見たら、なんだか可哀想で、泣けてきたわよ

          ANA「翼の王国」旅育日記〜アウトテイク