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弔辞〜トスカーナ日本人会会長=松浦真純さんへ

 松浦真純さんがお亡くなりなって暫しの時が経ちました。
 彼女が毎日、街を忙しく歩き回っていたのは皆様もご存じのことかとは思います。ぼくも最近は街中で〈会長不在のフィレンツェ〉という現実に直面しています。改めて淋しく、嘆き悲しんだりするのですが、たまには夢に現れることもあり、ぼくの中での彼女は変わらずだったりします。

 松浦さんはその昔からフィレンツェ村では有名な存在でした。それこそ毀誉褒貶な噂がありつつ、ぼくが真純さんのサポートに就いたのは彼女が日本人会の会長に就任してからの2年目、'08年からで、それからは松浦さんが会長を退任をするまで、副会長という名の下、右腕/左腕/足として、会と彼女をサポートしてきました。

 良い意味で、松浦会長には〈怖い〉〈威圧的〉などのイメージがありました。ただし、ぼくが真純さんに対してネガティヴになったことは一度もなく、会長がぼくに対してネガティヴになったことは数度ありますが(笑)、それは自分の不徳の致すところであります。

 オフィシャルにも、プライヴェートにもお付き合いをさせて頂き、それこそ、いろいろな思い出が尽きません。その中でぼくが特に印象に残っているのは2016年5月の秋篠宮同妃両殿下来伊、そして松浦会長、長年の功績が讃えられての「外務大臣表彰」にあります。

 前者については、両殿下がフィレンツェにいらっしゃった際の最初の公務。殿下らがミケランジェロ広場から街を見渡す、その指南役を松浦会長が担うことになったのです。
 早朝の広場は厳戒体勢となり、見届け人のぼくはもちろん、在イタリア国日本大使館のスタッフも近づくことは出来ず、両殿下と松浦会長の3名だけで10分ほど話をしていたものと記憶します。終わって、殿下らは次の視察場へ。戻ってきた真純さんは興奮した面持ちでした。ぼくらが「どうだった??」と尋ねてみれば、「何を話したか覚えないわ〜」とのこと。無事に終わって良かった、良かったと言いながらも「覚えてないわじゃ、ダメでしょ!」と爆笑。その時の松浦会長の〈破顔〉が忘れられません。

 2017年12月の「外務大臣表彰」はローマの在イタリア日本大使公邸で行なわれました。「日本とイタリアとの相互理解の促進」という名目の下、高名なイタリアの大学教授3名と共に、松浦会長も讃えられたのです。
 彼女もまた女であり人間です。感情に左右されることは多々あり(笑)、自らの意見を押し通すこともありましたが、間違いなく、私利私欲とは無縁の人でした。トスカーナ在住の日本人のことを考え、半身を尽くしていました。なので、長らくの業績がお上から認められるのはもっともなことで、表彰式当日の会長は少し照れていたけれども、その場に凛として臨んだ姿は印象的です。松浦会長が、トスカーナ日本人会が評価されたと、同席したぼくらも誇らしく思いました。

 松浦会長は常々「私には子供がいないから、お母さんたちとの思いとズレちゃうこともあるのよ」とこぼすこともありました。けれども、ぼくらは「いるとか、いないとか関係なく、真純さんは会のことを、将来ある子どもたちのことを一義に考えている、偉いです。立派です」と何度も何度も口にして、彼女を鼓舞しました。
 少しの歪みがあってトラブルになることがあったのかもしれませんが、我々も、松浦会長が描いていた未来も、同じものだったとぼくは考えています。

 個人的に、松浦真純さんはぼくの母のようであり、姉のようでもあり、〈時折みせる無邪気な笑顔は〉はるか年下の妹のようでもありました。翻って、松浦会長の薫陶を受けた現在のトスカーナ日本人会は〈子供〉になるでしょうか。ということから、今もこれからも、ぼくは真純さんの長男であると自負しています。などと言うと、「アタシの息子?ヤメテヨ〜〜!」と貴女はカラカラと笑うでしょう。そんな真純さんの言葉が、ぼくの夢の中で木霊(こだま)します。

 長らくお世話になりました。そして、本当にありがとうございました。貴女が残した思いは、今も我々の中に息づいています。

合掌

令和五年二月五日(トスカーナ日本人会新年会にて)

御法川裕三拝

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