ランドセルは何処に・・・
小学生の頃、ランドセルって背負ってましたか?
僕の地元ではだいたい背負ってました。
3年生ぐらいで転校してきた子は背負っていませんでした。
京都の子どもは「ランリック」(ランリュック)と呼ばれるランドセル型のリュックを使っているみたいです。大学時代に京都で小学生を見つけて衝撃でした。
僕は京都ではなかったので、あの普通のランドセルを小学1年から6年まで使っていました。ピカピカの真っ黒のランドセルでした。今はもう、捨てたのかな、どうしたのかな。高校生になるぐらいまでは実家に置いてあったような気がします。
使い終わったランドセルってどうしました?
捨てました?
なんか、解体して筆箱とかミニランドセル(キーホルダー)にするのとか流行ってるらしいですね。もしかしたら、解体して何か実用的な物にした方もいるのかもしれません。
僕は、あんま覚えてないです。捨てちゃったような気もします。
最近まで知らなかったんですけど、
どうやらランドセルって寄付できるらしいんです。
ランドセルギフト。
国内でというより、発展途上国の支援になっているらしいです。
ランドセルを送ることで、それがきっかけで途上国の教育支援に繋がったりするんだそうです。知らなかったなあ、知ってたらやっていたかもなあと思いました。
ただ、寄付とか物資の支援って一筋縄ではいかないところもあって。
東日本大震災以降、災害に敏感になって自分なりに色々調べたり尋ねたりしてきました。支援物資の需要と供給が一致しない問題ってけっこう深刻みたいです。
送るなら、ちゃんと調べて送ろうって思いました。
めちゃくちゃミクロな私的な話になりますが、似たようなことはあるなあと思い出しました。
僕は食物アレルギーがいくつかあります。
生卵、魚卵、蕎麦、アーモンド、ピーナッツ。
お菓子をもらったとき、アーモンドが混じっていると食べられません。気持ちだけいただいて、誰かにあげるという経験をもう何度もしてきました。この行為についてはもう慣れているので自分なりに気持ちの落とし所を得ましたが、せっかくもらうならやっぱり食べて感想言いたいんですよね。悔しいなあとちょっぴり思ったりします。
送ってないし、どうこう言う筋合いはないんですが、これまで送られたランドセルたちが、子どもたちへの支援という形で使われていたら嬉しいなあと思います。
遠い国の知らないまちのどこかで、かつて使われていたランドセルたちが、本来の用途で小学生の背中にくっついていたらいいなあと思います。
そしてそこで成された教育が、その国の未来の平和のために紡がれていたらいいなあと思います。
こんなことを考えるようになったのにはきっかけがありました。
2022年1月9日(日)に大阪(天王寺)のあべのハルカスで行われる舞台『ランドセル』に演出助手として携わったことです。
詳細とチケット予約につながるサイトです。もしよければちらっとご覧ください。
この物語のタイトルは『ランドセル』なんですが、おもしろいことに小学生は登場しません。大人たちの30分の会話です。その中にランドセルや寄付、諸外国にまつわるいろんな話が出てきます。
すごく軽く楽しめるのに、入り込んじゃうと「いろいろ」考えてしまう不思議な作品です。
僕は出ませんが、小沢の想いはこの作品にしっかり溶け込んでいます。まだ席には余裕があるそうです。配信もあるのでもしよければご観劇ください。
それとせっかくなので、この記事を閉じたあと「ランドセル」との思い出を振り返ってみてはいかがでしょうか。
あなたにとって、私にとって、 今日という一日が、かけがえのない明るく輝く一日でありますように。
2022.1.7 共鳴|演劇企画テルミナ第2回公演『ランドセル』に添えて
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