今日も生きるし、きっと明日も
おはようございます、劇団CLOUD9の小沢です。
久しぶりに夜の海に沈みかけていました。
言葉を借りるとすれば、褒め言葉が悪口よりも呪いの近くにいるのを知っていたし、
「何もかも壊れてしまえ粉々になるなんてことないのも知ってた」し、
素知らぬ顔して朝が来て何食わぬ顔で今日が始まることも知っていた。
けれどもどうしても乗り越えられない夜はあって、昨日はなんとなくそんな日だった、ような気がする。
何がってわけじゃないのが余計に厄介で、
別になんてこともないし何がってわけでもない。
例えばちょっと思ったよりも外が寒かったとか、
例えばちょっと一休みしてそれを隣で見ていて欲しかったとか、
例えばちょっとだけご飯の時間をおざなりにしちゃったとか。
ひとつひとつはこんなちっぽけで些細なことばっかりなのに、なんでかとんでもなく大きくて重い塊がどっしり、僕の領域を侵犯してくる。
一生、付き合っていくんだろうかと思う。
それは辛くてしんどくてどうしようもなく誰かに縋りたくなる衝動でもある。
でも、たぶんもうしない。そうして失敗して無くしたものがたくさんあった気がする。
こうやってSOSは見えなくなっていく。
こうやってSOSを見せなくなっていく。
こうやって気づいたら強く見えていく。
気づいたら強い人になっている。はずはない。
何も変わらない。変わっていない。
自分だけが特別なわけなんてなくて
誰だってこれぐらいのドロリとした塊は抱えて生きているらしい。
自分だけが辛いと思うな。
昔、誰かに、言われたことがあるような気がする。
気がする。
だけかもしれない。
誰かは自分自身だったかもしれない。
自分だけが辛いと思うな。
言葉はときに人を癒しときに人を追い込む。
それは言葉によるものではなく
言葉とそれを発する人と受け取る人の
関係性や状態やそれに類するものによる。
だから言葉のせいでもなければ
それを紡ぐもののせいでもない。
自分だけが辛いと思うな。
はい、そうですね、ごめんなさい。
真に希望を抱く人はそれと同じだけの絶望を知っているのだと思うし、太陽みたいに明るい人はそれだけ暗くて寒い夜を知っている。
【夜明け前が、いちばん暗い】
昨年いた職場の掲示板に貼ってあった
大学案内のポスター。
夜明けが来たと思ったら、
あっという間にまた夜だ。
夜が来たと思ったら、
あっという間にまた朝だ。
そうやって今日も生きるし、
きっと明日も笑っている。
2022.12.5 共鳴|光と影